作品考察 ※不定期更新

目次

 ※番外コラムはこちら

 

(原)・・原作漫画版

(ア)・・アニメ版

(外)・・外伝

(コ)・・コミカライズ版

(炎)・・巨人のサムライ炎

(作)・・作品背景/その他

 

01.原作漫画版・アニメ版で分岐する物語 (原)(ア)

02.結末に関しての誤解 (作)

03.「創作ノート」の謎 (原)

04.原作漫画版大リーグボール右1号「蜃気楼の魔球」とは? (原)

05.アニメ版大リーグボール右1号「蜃気楼ボール」とは? (ア)

06.なぜ未完だったのか? (原)

07.魔球とライバルが不要となる時代 (作)

08.本作のターゲット層は? (作)

09.今に生きる飛雄馬と一徹 (作)

10.幻のスイッチピッチャー (ア)

11.唯一死に損なった主人公 (原)(炎)

12.現実に影響され続けた物語 (作)

13.あと半年連載が続いていたら?① (原)(炎)

14.あと半年連載が続いていたら?② (原)(ア)

15.微妙に異なるYGマーク (作)

16.連載時期と史実との間隔 (作)

17.同時期に終了した飛雄馬の活躍 (ア)(コ)(炎)

18.第3のライバル (原)

19.単行本化に恵まれない作品 (作)

20.執念のコーチ・飛雄馬の原型 (原)(外)(炎)

21.メイン視聴者に配慮した台詞の変更 (原)(ア)

22.「怪物」江川卓のキャラクターの変化 (炎)

23.星飛雄馬の引退時期は? (原)(炎)

24.原作漫画版、アニメ版終了時の作者コメント (原)(ア)

25.「続編」と「姉妹編」 (炎)

26.「新巨人の星Ⅱ」は何時の出来事なのか? (ア)

27.左時代より凄まじい無間地獄とは? (原)(ア)(炎)

28.第2の相棒・丸目 太 (ア)

29.短期間で二度来日?不可解な描写 (原)

30.生来が右利きである事を知っていた飛雄馬 (コ)

31.「蜃気楼の魔球」の原理を解明せよ! (原)

32.関連商品の特徴  (ア) (作)

3.地方紙に連載されていた原作漫画版 (原)

34.さあ、どっか書かせろ! (作)

35.幻となった初の右投げエピソード (原)

36.※不定期更新(原)(ア)(外)(コ)(炎)(作)

 


01.原作漫画版・アニメ版で分岐する物語 

(原) (ア)

 

「新巨人の星」は原作漫画版とアニメ版では結末が異なる。原作基準で説明すると第5章「噴火の章」の途中から話の流れが変化。

左門に投球フォームの穴を見抜かれ、飛雄馬が二軍落ち。その後苦労の末に克服するまでは同じ。その後原作漫画版では一軍復帰。そして鷹ノ羽圭子との出会いとなるが、この鷹ノ羽圭子のエピソードは青年となった飛雄馬の葛藤を非常にリアルに描いた話で読み応えはあるものの好みの分かれる内容であり、テレビで放映するには不向きと判断されたためかカットされている。確かに一人の女性を巡り登場人物たちが嫉妬や勘違い等を繰り返す様を数話に渡って描写するのは厳しいかもしれない。

ではアニメ版はどうなったか?投球フォームの改良に成功した飛雄馬はライバル打倒の為に切り札が欲しいと考え、更に特訓を継続。ここで大リーグボールの開発を決意する。

つまり、原作漫画版とアニメ版では大リーグボール開発の動機と登場時期が異なる。

 

原作漫画版は日本シリーズの短い期間で阪急打線が飛雄馬の速球に馴れ、打ち崩されてしまう。来シーズンのセ・リーグも同じ結果となると予想する一徹。飛雄馬も同じことを感じ、ここで禁断の魔球の開発を決意する。

これについては他で詳しく触れるが、この動機付けの描写が浅く、正直魔球を開発しなくてもまだまだ行けるのではないか?と思えてしまうのが残念。もっと飛雄馬の投手生命に限界が来ている描写が必要だったのではと感じる。

アニメ版では飛雄馬に限界は来ておらず、ライバルたちを倒し巨人を優勝に導く切り札としての魔球開発という少年漫画的な王道展開となる。

 

これは、本作の送り手側と読者(視聴者)側の視点に相違があったことを証明しているのではないだろうか?

そして視聴者側に軌道修正し、おそらく一般的なファン層が望んでいたであろう最大公約数的な結末に向かって行ったのがアニメ版であり、あくまで梶原一騎先生の作風を維持したのが原作漫画版と感じる。

 

分岐後の展開は全く別物であり、単に鷹ノ羽圭子のエピソードをカットしただけではない。どちらが良い悪いではなく、それぞれの世界を楽しむのが正解だろう。

 


02.結末に関しての誤解

(作)

 

このサイト開設の原動力となったことだが、いま「新巨人の星」または「巨人のサムライ炎」で検索すると必ず出てくる言葉がある。

 

①「梶原作品の中で唯一死に損なった主人公が飛雄馬」

②「飛雄馬は結局右投手としては通用しなかった」

③「大リーグボールを打たれて巨人をクビになった」

④「なんと水木炎にギプスを渡してしまう!もう選手として復帰する気はないのだろう・・・」

⑤「しかもその後、作中から姿を消し行方不明となる」

 

ここに並べた言葉をそのまま受け止めるなら、読まなければ良かったレベルの悲惨な結末をイメージする人も少なくないと思う。(筆者もその一人だった)

添付画像の泣き崩れる飛雄馬がラストと思っている方も多いのでは?

 

原因は「巨人のサムライ炎」という作品自体が連載当時に発売された合本(雑誌タイプの総集編)のみの出版で、連載終了から25年を経てようやく単行本化(・・・しかし全3巻刊行予定が出版社倒産により2巻で頓挫。現在電子書籍で読めるのはこの2巻まで)されるまで多くの人の目に触れる機会がなかったこと。

この作品が知られるきっかけとなった90年代に出版された商業誌等で上記の文そのままの解説が載っていたこと。

そしてなにより紹介されていたページが長島とスカウト沢田の会話の中で回想として語られる多摩川グラウンドで自らの限界を知り泣き崩れる飛雄馬のシーン「のみ」を抜粋して紹介していたことが原因と思われる。

この影響の何と大きなことか・・・!

 

その衝撃的な内容を読み、さらにこの文章。当時学生だった筆者は単行本で「巨人の星」を読んで猛烈に感動し、続けて「新巨人の星」を読み消化不良の結末に納得出来ずにいたので、「もう1作。川崎のぼる先生作画ではない作品に飛雄馬が出ている」という話に食いつき、解説本が出版されるのを心待ちにしていたが、あまりのショックに単行本を全部処分してしまおうと思ったほど・・・。

「こんな結末になるなら続編なんて作らないで欲しかった」と心底思ったものだ。

 

しかし、通して読めば分かる事だが、「巨人のサムライ炎」における飛雄馬登場回の真のクライマックスは、この回想シーン後の水木炎の入団テストであり、飛雄馬の執念のテストに合格した炎に対し、最後に笑顔を見せ大リーグボール養成ギプスを託し、作中から退場している。

最も重要なはずのこのエピソードはなぜか各解説本ではほとんど触れておらず、残念ながら現在もその状況は変化していない。

 

この回はその内容、そのラストシーン、スカウト沢田の台詞「(大リーグボール養成ギプスを)星飛雄馬は自らの後継者と認めたからこそ譲る!」から実質「新巨人の星」の最終回と解釈可能である。(以降、本編に巨人の星キャラは一切登場しない)

また、作中リアルタイムの飛雄馬はすでに葛藤を乗り越えたのか終始クールで、「新巨人の星」序盤(または読切「それからの飛雄馬」)の雰囲気に回帰していることも付け加えておく。

自らの限界を知り号泣した後、一体どんなドラマがあり、あの「鬼コーチ・星飛雄馬」になったのだろうか。親友である伴もサムライ炎には登場しないので、その動向が気になるところである。

最後の登場回の飛雄馬に悲惨さは微塵もなく、水木炎の可能性に賭ける執念の男という印象。

 

「巨人のサムライ炎」という作品自体を容易に読むことが出来なかった時期に、まるで泣いて落ちぶれて自然消滅したかのような印象を読者に植え付けてしまった当時の出版物については色々思うことがあるが、実際に作品を読んだ際に好みの問題はあれ「意外と普通に読めた」と思った方もいたのではないか?

未読の方は、飛雄馬の登場エピソードである「第1章 春雷編」に関しては現在は容易に読むことができるので、是非ご自身の目で見て判断して頂きたい。(電子書籍「巨人のサムライ炎」第1巻に全て収録)

 

①については別の場で語ることとし、②は明確に間違い、③~⑤は結果だけで判断すれば必ずしも間違いではないが、この解説内容には大いに問題があるとここでは断言しておこう。

 


03.「創作ノート」の謎

(原) 

 

原作漫画版「新巨人の星」は実に中途半端な形で終了してしまう。

おそらく初めて読んだ人の殆どは「ここで終わり?」と悪い意味で驚くと思う。

ラストシーンだけ無理矢理最終回らしくした印象で全く終わった気がしない。蜃気楼の魔球が破れ、ペナントレースはヤクルトが優勢となる中、花形に続き左門も魔球の弱点に気付く。飛雄馬は海を見ながら第2の魔球に思いを馳せて静かに終了・・・・。飛雄馬は最後まで晴れない表情のまま、花形たちと再び戦うこともないまま、巨人はどうなるのか分からないまま(史実の1年後の連載になるので、連載当時は既にヤクルトが優勝していることを読者は知っているが)物語は唐突に終わってしまうのである。その後飛雄馬は、巨人はどうなったのかは読者が想像するしかない・・・。しかし、ラストシーンの不死鳥がその後の再起と活躍を暗示させた演出なのは間違いない。

最終回掲載号には「新・巨人の星 完結に際して」という釈明文が掲載。そこには「おそらく読者諸賢の多くは意外とされようが、この回で新・巨人の星は完結させて頂くことになった」と唐突な結末である事を原作者自身が認めている。「蜃気楼の魔球の原理」「不死鳥の第2の魔球」それらをまだ明かしていないとも。

続けて「作者にも読者にも幸運な事として連載終了後にTV版「新・巨人の星Ⅱ」がスタートし、その製作に原作者自身が積極的に参加する。すなわち今後のストーリー展開として予定していた「創作ノート」を全て提供する」との記載がある。

しかし「新巨人の星Ⅱ」は未完に終わった原作漫画版の続きをTV版で見せるという内容ではなく、終盤の展開を大幅にアレンジして物語を完結させたものだった。

「蜃気楼の魔球」は原理、開発過程、変化の描写が根本的に異なる「蜃気楼ボール」に変更。不死鳥の第2の魔球は、蜃気楼ボールが実質無敵の魔球のため誕生する必要すらなかった。

また、当時のアニメ雑誌(月刊アニメージュ 昭和54年5月号)によると、番組開始にあたりプロデューサー・赤川茂氏の「もちろん原作の本筋は追っていますが、今日も梶原一騎さんと話し合ってきたんですが、原作は大人向け、テレビはテレビでやってほしいということでしたね」というコメントが。

また「どんな新大リーグボールが登場するのか」という編集部からの質問に対して製作スタッフ・吉田力雄氏、松元理人氏、岩田幹宏氏は「テレビはテレビという事で色々考えたみたいだね」「水面に石を投げたときのようなボールも考えてましたね」と。

この時期。原作漫画版は既に終了しており、「蜃気楼の魔球」は当然製作スタッフはご存じの筈だが、蜃気楼ボールはほぼ全てが異なる魔球であり、梶原先生自身のアイデアとは考えにくい。

魔球の原理は「蜃気楼ボール」の原理として説明され、「蜃気楼の魔球」の原理は今も謎。第2の魔球も幻のままである。(蜃気楼ボールが第2の魔球となる展開であっても全く問題ないが)

 

果たして、原作漫画版「新巨人の星」に直結した内容の「その後」を記した創作ノートは存在したのだろうか?

それは、この釈明文にあった魔球の原理の解説、第2の魔球の誕生があり、そして「飛雄馬は死なない。消えない。」という言葉の通りの展開だったのか?

また「彼はいきいきとブラウン管で躍動するであろう。その多情多感な青春を泣きもし、笑いもしよう。そして読者の尻切れトンボへの不満を万全に解消してくれる筈だ」とは、当初は創作ノートそのものの内容を映像化する予定だったとも解釈出来る。もし、それが本当に実在するのなら非常に興味深い話である。

 

そしてこの釈明文の最後には「ごく近いうちに再び本誌上にまったく構想を新たにした巨人軍劇画を執筆する予定でいる(中略)できれば新作の中にも飛雄馬に登場して貰いたいなど、ひそかに想を練りつつある。乞う、ご期待!」と次作「巨人のサムライ炎」についての記載が。

サムライ炎に登場した飛雄馬のその後は、「新巨人の星Ⅱ」とは真逆と言っても良い展開となった。そこには第2の魔球は誕生せず、星を掴むことなく燃え尽きようとしている姿が描かれている。

これは何を意味するのか?

創作ノートが存在するのであれば、本来のノートの内容が、このサムライ炎の原案となった可能性は低いと筆者は判断している。

逆に創作ノートが存在しないのであれば、アニメ版は最初から梶原先生の手から離れた作品として製作スタッフに展開を任されており、炎は原作漫画版と世界を共有する作品として企画され、その時点で初めてあの引退までの展開が考え出されたのではなかろうか。

 

第2の魔球を開発していたとしても、現実の長嶋巨人はその後さらに低迷し、一度も優勝することなく最後は監督解任という流れになる。果たして低迷期の中で物語をどうやって終わらせるか考え抜いた末の結末なのか、この釈明文の通り、本来の結末に近い流れはアニメ版であり、炎は所謂パラレルワールドとして本編とは直接の関係はない番外的な登場だったのか。

もしくは筆者の予想とは全く異なり、創作ノートには炎における飛雄馬引退までの流れが記されており、それを水木炎ではなく飛雄馬の視点で描く内容だったのか。

いつかこの謎が明かされる事を願う。

 

※「24.原作漫画版、アニメ版終了時の原作者コメント」に当項目で触れた釈明文を再録。

 


04.原作漫画版大リーグボール右1号「蜃気楼の魔球」とは?

(原) 

 

原作漫画版最終章「新魔球の章」とアニメ版「新巨人の星Ⅱ」に登場する「大リーグボール右1号」

連載当初から読者からの要望の多かった「大リーグボール4号」がここで右1号という名でついに登場した。

ハーフスピードから投じられたボールは打者の手前で三つに分身!一徹曰く「消える魔球の逆の変化」である。

それまでは巨人復帰までの厳しい道のりが丁寧に描かれ、右投手として復帰直後は恐怖の荒れ球剛速球投手として活躍。その後右投手用ギブスの効果もありコントロールが改善されるが、筆者の印象としては投手として成長していくのと反比例して飛雄馬の魅力が薄れていった感がある。

単純に言うと、投手として隙が無くなり逆に地味になってしまったのだ。花形、左門、ロメオとのライバル対決で盛り上がるはずだが、滅茶苦茶なコントロールでセ・リーグ打者を恐怖に陥れ勝利に貢献していた頃の方が明らかに面白かった。鷹ノ羽圭子の登場によりドラマ面の充実はあったものの、肝心の試合描写は弱い。そしてついに待望の新魔球登場となる。しかし、この魔球が作品に登場したときは既に巨人は優勝を逃している現実があった・・・。初めから勝利できないことが運命づけられている中、果たしてどういう意味があってこの魔球は誕生したのか?しかも、登場間もなく本作の連載は終了してしまうのである。

原作漫画版大リーグボール右1号「蜃気楼の魔球」とアニメ版大リーグボール右1号「蜃気楼ボール」

この似て非なる・・・いや全く異なる魔球は、その誕生の背景から異なっていた。恋を棄てて挑んだ日本シリーズ第1戦で快勝した飛雄馬は、最終戦で阪急打線に速球を打ち込まれ、来季はセ・リーグ打者にも同様に通じなくなる事を予感。ついに魔球の開発を決意する。右投手として、もはや魔球なくしては起てないと。

しかし全くと言って良いほど飛雄馬に限界が来ているように見えないのが問題だ。しかも、阪急に打ち込まれた日本シリーズでは他の投手陣より遥かに活躍した上で敗れている。なぜ飛雄馬だけ限界を感じているのか不自然と言えなくもない。

一徹の台詞「あの手の押しまくるピッチングはじき馴れられる。あれより速い近鉄の鈴木を打っとる阪急打線よ」という台詞も逆に考えれば近鉄の鈴木は魔球がなくても阪急と何とか渡り合っているわけだ。何故飛雄馬には魔球が必要なのか?

この辺の描写があまりに少なく、説得力に欠けるのが残念である。

前作の大リーグボール2号・消える魔球敗北後のオールスター戦「華麗なる墓場」のように、もはや他に道はないと読者に納得させるだけの徹底した描写が必要だったと感じる。

どの時期に連載終了が決定したのか不明だが、前章までは特に展開を急いでいるとは感じない所からも、新魔球の章スタート時期に連載終了が決定し、最終回までの話数から逆算して大急ぎで話を進めた感がある。それほど「新魔球の章」は展開が粗い。

蜃気楼の魔球は原理が明かされないまま連載が終了。「巨人のサムライ炎」でも一度蜃気楼の魔球を披露したが、そこでも説明はなかった。原理を考えていなかったのか?とも思うが、劇中で断片的に語られる描写から全く考えていなかったというのも疑問が残る。

その特徴とは「球速は関係ない」「打者、捕手、審判にしか変化を見ることは出来ない」「一球投げるごとに非常に体力を消耗する」「本物のボールには影がある」であった。果たしてどんな原理だったのか?

蜃気楼の魔球は見た目の変化は歴代でもっとも大きく、攻略されやすい致命的な穴も大きい。シュルルルル・・・という擬音、盛り上がりに欠ける展開の影響もあり、あまり凄味を感じないのが残念だ。劇中の人物たちは驚愕しているが、もっとハッタリを効かせた演出が欲しいところ。

花形、左門たちライバルが誰も打てず、打倒に燃える中、モブキャラの一人があっけなく打ってしまう展開等も面白かったのでは?(これは筆者の主観) 

そして、もし「巨人のサムライ炎」における「右投手として限界を知り、ついに引退する飛雄馬」の構想がこの時点でもし存在したとしたら・・・この蜃気楼の魔球は所謂「花火が燃え尽きる前に最後に放つ強い光」的な意味を持ってくるので、梶原先生はどんな理由ですでに巨人が優勝出来ないことが分かっていた時期に新魔球を登場させ、それが破れたと同時に連載終了としたのか気になるところである。

サムライ炎で描かれるエピソードを前提とした登場だったのか、次なる右2号を想定した展開だったのか。どこか儚い印象の名称といい、深い意味があったのではと考えてしまう新魔球である。

 

※「31.蜃気楼の魔球の原理を解明せよ!」で謎のままの魔球の原理を予想。

 


05.アニメ版大リーグボール右1号「蜃気楼ボール」とは? 

(ア) 

 

アニメ版「新巨人の星Ⅱ」に登場する大リーグボール右1号。

この新魔球「蜃気楼ボール」は原作漫画版「蜃気楼の魔球」とは全く異なる魔球である。当時の読者はあまりの変わりように驚いたのでは。変更されたのは魔球だけではない。物語そのものも大きく変更されている。

この蜃気楼ボール。誇張無しで言うが、おそらく歴代最強の大リーグボールである。最下位のドン底に沈む長島巨人を救うという物語当初の目的は巨人復帰1年目で達成できた。そして更に日本一を目指す巨人と飛雄馬は、現実の成績に影響され、おそらく思い描いていた流れとは違う方向に話が進んで行ったと思われる。しかし、この蜃気楼ボールは「本来こうなるべきだった。こうなって欲しかった。」という方向に物語を強引に引っ張るパワーのある存在だった。

他球団の打者を圧倒し、原理が明かされてもなお打つのは困難。そして長島巨人を優勝に導く必殺の切り札。まさに無敵の魔球と言っても差し支えない描写であった。

打倒するには天才花形ですら選手生命を捨てる覚悟で挑む必要があり、実質弱点はないと言っても過言ではない。原作漫画版の「ボールが分身する」という特性を引き継ぎつつ、開発過程、描写、原理、威力、その結果と全てが変更され、アニメ版「新巨人の星Ⅱ」はこの魔球の開発、そしてライバルたちとの対決が話のメインとなっていた。

ハーフスピードで放たれるボールはサイドスローから放たれる162キロ(劇中の台詞により判明)の剛速球に変更。

3つに分身する特性は無数に分身する描写に変更。

本物のボールには影のある大きな弱点は、蜃気楼ボールは全てが本物(ボールが激しく振動する事で打者の目が残像現象を引き起こす)のため消滅。

左門が気付いた弱点「蜃気楼ボールは風に弱い」・・・偶然引き起こされた現象から分身が消えたことで左門に打倒されるが、これを意図的に起こすには花形のような覚悟が必要となる。

原理の秘密に気付かれたら最後、儚く消える運命にあった魔球は、超強力な驚異の新魔球に変更された。

大リーグボール2号「消える魔球」と比較すると、その原理は非常に難解だが、数回かけて少しずつ説明されている。そんなバカなという気になるのは前作と同じである(笑)

飛んできた虫の軌道を見て「予期せぬボール(残像)の存在」という発想に至るのは原作のゴルフ中に後続チームのボールがグリーンに飛んで来た場面と意味合いは同じ。紙飛行機を飛ばすシーン、飛行機の離着陸の確認、F1カーの猛スピードを見てヒントを掴むシーンは「空気抵抗」の存在に気付くシーン。

その後のボールより狭い隙間を通過させる謎の特訓で、「侍ジャイアンツ」の分身魔球のようにボール自体が変形する事が分かる。さすがに番場蛮のように握力で強引に握りつぶすことはなかった。

続けて一列に並べた蝋燭の炎をボールの風圧で消しながら通過させる特訓と、同じく一列に並べた細い板の上を、まるで川に投じた石が水面を跳ねるようにボールが変化しながら通過するシーンは、魔球を投じる為の投球フォームの変更とボールが放たれた「後」に空気の壁にぶつかることでボール自体の変形と衝突の影響の二重効果で激しく振動し、それが打者の目が錯覚を引き起こす説明に繋がる。(蝋燭の特訓はボールの水面を跳ねるような軌道により発生する風圧で炎を一つ飛ばしで消す事が目的と思われる。アニメ版の展開を基に連載されたコミカライズ版で明確な描写が存在する。)左門が蜃気楼ボールの投球モーションの研究の際に「特殊な握り方で投げているわけではない」と気づき驚く場面もこれに関連したことである。

整理すると飛雄馬は「ボールを激しく振動させる」1点に集中した研究、特訓をしていたことが分かる。

続けて、無数に分身した魔球はなぜ捕手の手前で急ブレーキがかかるように元に戻るのか?(捕手は捕球出来るのか?)という疑問。

これは「ソニック・ブーム現象」・・・ジェット機が激しい空気抵抗を受けながら加速し続け、音速を超えた時点で起きる衝撃波と機体が安定する法則。これが応用されており、捕手の手前で加速がピークに達した時点でボールが空気の壁を破り一つに戻るという結論。しかし一つに戻った時は打つタイミングを逸している。だが試合中に偶然起きたつむじ風が変化を妨害。早い段階でボールが1つに戻ったことにより左門は「蜃気楼ボールは風に弱い」と気づく。(空気の壁をボールより先につむじ風が破壊したことにより変化が消えたという意味)

そしてこの偶然は「どうやって意図的にボール自体の振動を止め、強引に元の球に戻すか」という花形の特訓に繋がる。

 

これだけ書いても無茶苦茶な理屈だと思うが、このハッタリこそ魔球の魅力。かつて「ただのナックルボール」と評した記事があったが笑止千万である。

 

アニメ版「新巨人の星Ⅱ」は、史実に反し巨人が優勝することで批判の声もあるが、筆者は原作漫画版とは違う一つの流れとしてアニメ版はこれで正解だったと思っている。

巨人をついに優勝に導き、飛雄馬は再び巨人の星を掴み、去っていくのである。

 


06.なぜ未完だったのか?

 (原) 

 

本作が終了した理由は色々な説がある。だが真相は未だ不明・・・。本作に触れた様々な記事や作品解説で語られているのが現実の巨人の成績が影響したのではないか?ということ。かつてのV9時代と異なり勝てない巨人。飛雄馬が魔球を開発しても優勝できない現実の前にストーリー展開が苦しくなり終了。確かにこれが一番現実的な理由ではないか。川崎先生のコメントによると違う理由(もしくは上記に加えた理由)が語られ、ご自身の多忙さに加え、荒れた原作、モチベーションの低下により疲れ切ってしまい、終了を申し出たとの事「もうこれ以上、何も描きたくなかったんです」(「夕やけを見ていた男 梶原一騎伝」より)

梶原先生のコメントは筆者の知りうる限り、連載終了時の釈明文にある川崎先生のよからぬ健康状態の件と、以下の興味深いインタビュー記事がある。

 

編「それと、週刊読売の「炎のサムライ」ですか、星飛雄馬がゲスト出演みたいなかたちで出てくるんですけど、その前にまず「巨人の星」復活の理由というのを伺いたいんですが」

梶「それは「あしたのジョー」書いたらもうボクシングものは書けない、「巨人の星」書いたらもう野球ものは書けないってところはあるよね。それを読売の方が星飛雄馬はジョーみたいに死んだんじゃないんだからまた出してくれという安易と言えば安易、せっぱつまったと言えばせっぱつまった発想から出てきたんだけどね。ところがやってみると、もう「巨人の星」の時代じゃないということがしみじみわかってね。あれは川崎のぼるもね、彼なんか自分がのらないと描きたくなくなっちゃう純粋な人間でね。見るからに嫌そうに描くわけ。そうするとそれが作品にも出てくるよね。ところが読売の方は長く続けるつもりだったから、じゃあ代わりのものを書いてくれっていうんで「炎のサムライ」が始まったんだ」(漫画情報誌ぱふ 昭和55年2月1号90~91頁より)

 

炎のサムライとは勿論「巨人のサムライ炎」の事である。

どれが真相なのか、それとも全て正しいのか(この可能性大ではないか?)

史実の1年遅れで連載している本作だが、成績不振による終了としても僅か1ヶ月後に「巨人のサムライ炎」を開始している事実。連載が終了してから始まったアニメ版(新巨人の星Ⅱ)。

少なくとも不人気による打ち切りではないが、中途半端に終わってしまった理由については今後も調査を継続する。(ここに記した事以外の情報をお持ちの方がいましたら、是非ご連絡下さい)

 


07.魔球とライバルが不要となる時代

(作)

 

「新巨人の星」本編で魔球が登場した時は既に連載終了直前であり、様々な事情があったにせよ、迫力と説得力に欠ける描写、イマイチ盛り上がらない展開、コピー多用の作画(最終回までコピー画の使用あり)と非常に残念な要素が多かった。

通して読むと魔球の登場した最終章より丁寧に巨人復帰までの苦闘を描いた前半の方が遥かに盛り上がったことが分かる。

 

筆者の個人的希望としては、多少地味でもコントロールにやや難のある速球投手として最後まで貫いて欲しかったと思うが、それは本作が「巨人の星」の続編である以上許されなかったのかもしれない。

 

対象年齢を絞りきれていない感のある本作だが、最後に前作に近い雰囲気を再現しようとして中途半端に終わってしまった印象。

梶原先生もいざ再開してみたら、もう「巨人の星」の時代ではなくなっていたという言葉を残しており、当時すでに魔球・ライバルといった描写が過去のものになりつつあった。

 

これについては本作より「巨人のサムライ炎」の方がより強く感じる。大リーグボール養成ギプスを飛雄馬から受け取り、主人公の引継ぎが描かれた時点で所謂「巨人の星の要素」は作品から消滅。大リーグボール養成ギプスがその後の展開に活かされることはなかった。

ストイックに努力する描写は減り(水木炎は軽口を叩きつつ他の選手の3倍は努力するタイプだが、苦しい描写というより打ち込めるものを見つけて充実している印象の方が強く残る)、水木炎の「宿命のライバル」は最後まで登場しなかった。

 

これは一応「新巨人の星」と世界を繋げている関係上、作品内に正統派ライバルの花形・左門がすでに登場しており、新たに同タイプのライバルを出せない(仮に出したとしても花形・左門を超えることはできなかっただろう)事情もあったかもしれないが、もう時代的にそのような展開が望まれていなかった可能性もある。最初から「新巨人の星」と一切関連がない作品だったとしても同じだったのではと推測。

魔球とライバルという要素が消え、更に現実の巨人の成績は低迷。その状況でどうやって作品を盛り上げるか「新巨人の星」以上に苦労した感がある。

この作品が成功していれば従来の作品とは全く異なる主人公像、面白い展開になった可能性があるだけに、つくづく短命に終わったのが惜しまれる。

 


08.本作のターゲット層は?

 (作)

 

「新巨人の星」は掲載誌が週刊読売である事実を除いても、その内容は明らかに前作より上の年齢層に向けて発表された作品である。

しかし、大ヒットした少年漫画の続編という立ち位置。アニメのメイン視聴者層は子供である事実。ここで送り手側と読み手側のギャップが生じているのは否めない。

本作を前作から続けて読んだ時、おそらく誰もが形容しがたい違和感を覚えるのではないか?それは当事読んだ方なら尚更だろう。

 

本作の連載中は読売新聞社から合本(雑誌と同じ扱い、紙質の総集編として店頭に並ぶ本)で発売され、後に講談社から単行本が発売されている。

「巨人のサムライ炎」は合本のみで単行本は当時発売されなかった。

 

この合本。広告や読者投稿欄等、当時の空気が伝わってきて非常に興味深い。掲載された投稿文を読むと様々な要望が。一部を以下に記す。

 

①「打者ではなく何とか左腕を復活させて投手として活躍して欲しい」

これは作者側としては「してやったり」な感想ではないだろうか。まだ大どんでん返しの秘密が明かされる前の反応である。後の展開を読んだときどう思ったのだろうか?

 

②「大リーグボール4号の登場に期待」

やはり「巨人の星」の続編となれば当然の反応か。連載開始時に寄せられた意見だが、前作のような魔球を駆使してライバルと戦う展開に期待していたことが分かる。しかし魔球が登場したのは終盤であった。

 

③「新しい恋人を作るのは大反対」

日高美奈という存在の大きさが分かる反応。連載当初から恋人の名前募集の告知をしていた週刊読売側としては予想外の反応だった可能性大。作品人気を盛り上げる筈のイベントが思わぬ反発を招いた感あり。

 

④「今度こそハッピーエンドにして欲しい」

これは筆者もそう思った(笑)仮に悲劇のラストを繰り返しても、相当練られた内容でなければ前作には遠く及ばない。しかし安易なハッピーエンドはない梶原作品。そして現実の厳しい状況。この作品をどうやって終わらせるか苦労したのは間違いない。

 

⑤「星飛雄馬と水木炎の投手リレーに期待」

これが一番驚いた反応で、「巨人のサムライ炎」序盤に飛雄馬が登場したことで所謂ダブル主人公ものと思った読者がいたのが分かる。ほか花形・左門との対決に期待する声もあり、当初は「新巨人の星」の続編として読んだ読者も多かったのだろう。

 

ファンが望んだ「前作のような続編」ではなかった本作。送り手側が表現したいことと受け手側が望んでいることが微妙に異なるのが本作の評価まで微妙なものにしている原因の一つではないだろうか。

合本を見ると、週刊読売に連載された内容の漫画を子供が手にする事を意識した構成になっている。

居酒屋で酒を煽り、長島巨人の惨状に涙するヘビーな展開が掲載された本には、社会人向けの公団住宅の入居者募集の広告が載っているのと同時に「時間割」「魔球下敷き」「ソノシート」等、子供を対象とした何ともチープな付録が。「一体この本はどの年齢層を対象としているのか・・・・?」と思ってしまうチグハグな構成である。(子供のいる一般家庭を対象としたのか?とも思うが)

 

よく本作に付された「家庭劇画」というカテゴリー名が意味不明と言われるが、これは週刊読売の読者である社会人から子供まで幅広い層が読む事を想定(逆に言えば絞りきれていない)したネーミングではないかと。

子供が手にすれば内容に違和感が生じ、大人が手にすれば戸惑ってしまいそうな構成だったのかもしれない。

 

アニメ版(特に「新巨人の星Ⅱ」)を見るとメイン視聴者である子供を意識してアレンジを加えていることが分かる。当初は原作漫画版に沿った展開で進むが、子供のレギュラーキャラの追加、魔球登場後のライバルたちとの対決場面の大幅追加、子供には不向きな女性を巡る複雑な人間関係描写のカット等々。また上記①~④の読者の願望を一応形にしている所も注目。

原作漫画版と同じく評価が今一つなアニメ版ではあるが、当初から対象年齢を子供に絞り最後まで完走出来たのは評価すべき点ではないだろうか。

 

前作にはない本作特有の雰囲気を受け入れることが出来るか否か。これによって好みが分かれるのは間違いないだろう。

あまりに中途半端で終わったことだけが本作の評価を微妙にしているわけではない。

 


09.今に生きる飛雄馬と一徹

(作)

 

1998年にハズブロー社から「GIジョー」を素体とした可動式フィギュアの飛雄馬と一徹が発売された。

勿論オリジナル「巨人の星」の飛雄馬と一徹である。

この商品は発売前から当時の雑誌に「川崎のぼる先生による現在(※1998年)の飛雄馬と一徹を描いた特別イラストが付属」と説明されていた。

そこにはかつてのタッチとは異なるものの、年齢を重ねた穏やかな表情の飛雄馬と一徹が。あれだけの激闘を繰り広げた父と子が優しい笑顔を見せてくれるのが嬉しくなる一枚である。

 

「新巨人の星」は複雑な事情のある作品なので、現在川崎先生自身が本作についてどう思っていらっしゃるのか非常に気になるところではある。

しかし、不幸な状況の中でも何とか作品の質の向上を目指す姿勢が伝わってくるのが本作の魅力であるのは間違いない。

 

川崎先生は後に「(連載開始前は)自分の中で「巨人の星」は終わっていた。実は当初はやりたくなかったんです。」 中途半端に終わったことには「(荒れた原作やご自身の過密スケジュールに疲れ)もうこれ以上、何も描きたくなかったんです。」「梶原さんも分かってくれたんだと思います。」とコメントしている。

 

川崎先生にとって「なかったこと」なのだろうか?と筆者は勝手に推測していたのだが、このイラスト。偶然なのか確信的なのか不明だが、1998年の飛雄馬は「右手」でボールを持っている。一徹は新の一徹に近い格好で、さらに歳を重ねた印象である。

描かれたものをそのまま受け止めるなら、「巨人の星」「新巨人の星」のその後を川崎先生自身の手で描いた「唯一」の貴重なイラストになる。大袈裟でも何でもなく、この意義は非常に大きい。

フィギュアは絶版であり、このイラストも現在まで本作に触れた書籍等で掲載されたことは一切ない。このまま歴史に埋もれてしまうのはあまりにも惜しい。

 

これは、「不死鳥の第二の魔球を思い描いていた飛雄馬のその後」なのか?

「自らの後継者に後を託し去った飛雄馬のその後」なのか?

筆者の解釈は前者で、まさに川崎先生が描いた「新巨人の星」の最終回から数十年度の姿を捉えた一コマではないかと。

ここに至るまでに何があったのか? 今からでも遅くはない。川崎先生に是非お聞きしたいものである。(できることならご自身の手で「新巨人の星」を明確に完結させて欲しい・・・・)

 

こういった作者自身で描かれた1枚でドラマを感じるイラストは(権利の問題はあるにせよ)今後本作に触れる際は大事に扱って欲しいものである。

 


10.幻のスイッチピッチャー

(ア) 

 

アニメ版「巨人の星」第5話「幻のスイッチピッチャー」は原作漫画版にないオリジナルエピソードである。

初期の単発のエピソードで、物語的には特に重要な回ではない。しかしこの回は後の展開を知る者には興味深い内容となっている。

まだ幼少期の飛雄馬の話で、クラスメイトとのトラブルから左腕を負傷し、それを一徹に叱られた飛雄馬は(子供らしい突飛な発想で)右も投げられるスイッチピッチャーになると言い出す。当然コントロールは定まらず、球威もない。しかし練習を重ねたことで徐々に様になりつつあったが、クラスメイトが火事に巻き込まれた際に無意識に左腕を守りつつ、その左腕の正確な投球で火災警報器のボタンを押し、無事救い出すのだった。その後、右で投げる描写はない。

 

本話では後の「新巨人の星」で明かされる「生来は右利きであり、左腕投手の有利さから幼き頃より一徹の手で強引に左利きに切り替えた」設定は出てこない。(後付けの設定なので当たり前)

大どんでん返しの秘密が明かされるより遥か以前に「右腕で投げる飛雄馬」が描かれていたのは偶然とはいえ面白い。強引に解釈するなら、この時の飛雄馬はまさしく左利きに矯正されていた幼少期であり、その頃のエピソードと解釈すれば良いのかもしれない。

 

コントロールや球威とも左腕に及ばないのは「新巨人の星」で語られる設定と一致しており、その右腕が大リーグボール養成ギプスで同時に鍛えられていた事で新たな物語が始まるのである。それが一徹の台詞「人口培養ではない荒っぽい野生の右投手・星飛雄馬の新生もありうるて。くわえて伊達に大リーグボール養成ギプスで鍛えたのではない。やがて球速は左同様になる!」の台詞に繋がる。

 


11.唯一死に損なった主人公

  (原) (炎) 

 

「美しく燃え尽きた他の梶原作品の主人公と比べ、唯一死に損なった星飛雄馬の何と無様なことか」 

 

記憶では梶原作品を評した書籍が広く出回り始めた90年代以降、こういった言葉を良く見かけるようになった。 もし、前作「巨人の星」で完結していれば堂々たる結末と評され、こんな話もなかっただろう。 

 

原因は本作「新巨人の星」または「巨人のサムライ炎」と言わざるを得ない。 この二作品が少なからず前作の評価にも影響していることは否定出来ない事実である。  

晴れぬ気持ちのまま静かに再起を誓うラストも、再起することなく表舞台から去るラストも否定的な声が多い。 

それほど「新巨人の星」の最終回は中途半端で後味が悪かった。簡単に言えば沈んだ表情で負けっぱなしのまま終わってしまったのだ。格好良いわけがない。 

サムライ炎はその中途半端なラストに決着した形になる。ただし再び立ち上がるラストではなく、新主人公に引き継がれるという形で。 

これは他の梶原作品にはない結末で、自身は敗北し巨人は優勝を逃したまま現役を去るので「新巨人の星」以上に批判されている。 

 

どちらの結末であっても受け入れられず、続編の存在自体を認めないファンがいるのは理解できる。 ここではこの冒頭に記した評価について考えてみる。 

 

「新巨人の星」のラストは燃え尽きる以前の話で、まだ物語に何も決着がついていない。蜃気楼の魔球が花形と左門に攻略されたという事実はあるが、ペナントレース中であり、ラストシーンも台詞通り「しばしの休息といくか」程度のことである。これを結末と捉えるなら確かに無様と言えなくもないが、内容的には明らかに未完であり、物語はまだまだ続く雰囲気。評価しようがないという表現が適切かもしれない。 

 

そしてサムライ炎における引退劇。不死鳥の第2の魔球は誕生せず、限界が来た自分を認めることができず、一徹の「この星一徹、飛雄馬父子の野球人生は終わった。」という非情な言葉に激高し、号泣する姿は格好悪く悲惨だ。新たな巨人の星を掴む事はついにできなかった。しかし飛雄馬はその苦悩を乗り越え、新たな逸材に後を託し去って行く・・・。

 

確かに「勝利」で終わることはできなかった。しかし草野球の試合に謎の代打屋として現れた時から、最後に力尽きるまでの苦闘を通して読んだ時「今までの努力は無駄だった」「右腕投手としては通じなかった」「実にみっともない」と思うだろうか。 

果たしてこれは本当に「唯一死に損なった無様な結末」なのかという疑問がある。

死なずに現実を生き延びていく結末は無様なのだろうか? 

 

既に「巨人の星」の登場人物が全て退場している「巨人のサムライ炎」後半。春季キャンプ中の何気ないシーンで、新聞記者に対して長島監督は笑顔でこう答える。「林は星飛雄馬の再来!」と。 

 


12.現実に影響され続けた物語 

 (作)

 

読売新聞社刊「新巨人の星」第3集「噴煙の章」の巻末には編集後記として以下のコメントがある。 

 

「長島巨人はV2を達成しながら再び阪急に敗れて、日本一が達成できませんでした。巨人ファンのみなさまには、本当に申しわけないと思っています。もっとも、当編集部では期するところもあって、喜んでいる部分もあります。われらがホープ星飛雄馬に期待するからです。星飛雄馬は、昭和五十一年から長島巨人の助っ人として、さっそう登場しました。本章からです。彼の活躍で五十三年巨人軍の日本一を祈りましょう。」(原文ママ) 

 

この第3集が発売されたのは昭和52年12月20日。噴煙の章の舞台は昭和51年。全編通して最も盛り上がった飛雄馬がカムバックした年であり、巨人は前年の最下位から悲願のV1達成。いよいよ日本シリーズが始まるところで次章へ続く内容。 

この作品が前年の結果を踏まえて作られていることが明確に分かる。しかしこの編集後記・・・以後長島巨人は一度もリーグ優勝することはなかったのは何とも皮肉な結果である。 

 

物語の構造がドン底の最下位からの逆転リーグ優勝、さらに日本一を目指すという流れなので、これ以降現実を踏まえて話を進めるのは相当難しかったと思う。どれだけ工夫しても長島巨人は2位→5位→3位という結果に終わるのだから・・・

 

同じ原作者の「侍ジャイアンツ」も川上巨人がV10を達成出来なかったことが物語に大きな影響を与えているが、本作も優勝を逃したことで展開が行き詰まる。

花形が魔球を攻略したために対ヤクルト戦に飛雄馬が登板できなくなり、漁夫の利で勝てば勝つ程ヤクルトの順位が浮上するのは上手く現実を絡めた展開と思うが、それを放り出すような形で終わってしまい、綺麗に纏められなかったのが残念だ。

 

また、前作では日本シリーズは物語上あまり重要視されていなかったと感じる。それよりも全編「個対個」の対決こそ重要とされていたが、それは物語の背後に常勝巨人あってのことだったのだろうか。

本作でもライバルたちとの死闘に比重を置くことはできたのかもしれないが、実際は何としても巨人を日本一にしたい飛雄馬の姿が描かれた。 

 

苦しい展開となるのは同じだが、ストイックに優勝を目指す飛雄馬より水木炎の方がキャラクター的に動かしやすかったかもしれない。 

炎は素晴らしい素質はあるが選手としてはまだまだ未完成で、巨人に殉ずるというより自身の投打二刀流を完成させることを優先しているタイプ。

現に彼は序盤でスカウトである沢田に対し、どこかの球団に紹介して欲しいと頭を下げ、巨人軍入団に拘っていなかった。 

全く違うタイプの明るい主人公だったからこそ、79~80年の巨人が舞台の作品が描けたのかもしれない。

それでも現実の影響はあまりにも大きく、物語は徐々に横道に逸れてしまうのだった。 

 

「新巨人の星」「巨人のサムライ炎」連載当時の現実の長嶋巨人軍の歴史を調べると、その成績もだが、巨人を取り巻く周辺事情が大きく作品内容に影響していたことが分かる。かつてとは違い、創作の障害となる形で。

 


13.あと半年連載が続いていたら?①

(原) (炎) 


複雑な事情で連載終了した本作。ここでは連載があと半年程続いたと仮定して、「巨人のサムライ炎・第1章 春雷編」の内容が「新巨人の星」のまま描かれていたらどうなったのか筆者の願望含め推測。

 

実際に連載が続いていた場合、展開自体が違った可能性もあるが、ここでは春雷編をベースにした例とする。

 

まず「新巨人の星」終盤の展開を一部補完。

 

・昭和53年シーズン。開幕から飛雄馬の快進撃が続く中、またもや魔球に打ち取られたその瞬間に花形は本物のボールには影があることに気付く。

・魔球打倒のヒントをついに掴んだ花形。人知れず影打ちの特訓を開始。

・コロンブスの卵的発想で破れ去る運命にある魔球。花形の謎の特訓を知り不吉な予感の伴。その意味を理解し驚愕する一徹。

・ついに蜃気楼の魔球が打倒される。
・ヤクルト広岡監督の指示で他ナインも魔球打倒の特訓開始。しかし弱点を理解しても容易に打てるものでは無い。
・長島巨人は星のヤクルト戦への登板を封印。他球団にはまだまだ通用し勝利を重ねるが、その影響でヤクルトの順位が浮上。
・花形に続き左門も魔球の弱点に気付く。

ここで原作漫画版「新巨人の星」で描かれた分は終了。以降は春雷編の内容から。

・大洋ナインにも攻略法が明かされ、対大洋戦でも星の登板を封印される。
・晴れぬ気持ちのまま登板し、勝利を重ねるものの第2の魔球が開発できず焦る飛雄馬。しかしペナントを落とせない長島巨人は飛雄馬の戦線離脱を許さない。
・一徹の危惧通り、復帰3年目にして速球に各球団の打者の目が慣れ、魔球以外は徐々に通じなくなりギリギリ勝利する状況となる(これは後の展開に説得力を持たせる意味でも必要)そして異常に体力を消耗する魔球では連投ができず、追いつめられていく飛雄馬。
・僅かな差で53年ペナントレースはヤクルトが優勝。巨人V3ならず。
・ヒューマ・ホシに勝利することなく、ロメオ・南条は無念の帰国。(ビル・サンダーの弟子同士、最後に和解シーンがあっても良いのでは)
・シーズン中に極秘とされてきた蜃気楼の魔球の原理が公になる(一般人である水木炎が特訓方法を知っている後の展開に繋がる)
・切り札の魔球を失い、速球が通じなくなった飛雄馬はシーズン終了後も自主トレを続けるが成果を出せない(ここで伴、一徹の協力や心理描写は描かれたはず)
・球界を揺るがす江川事件勃発。
・もはや右投手として起つことはできないと限界を知り苦悩する。一徹は父子二代の野球人生の終わりを告げると同時に、二度もエースとなった我が子を巨人の星になりおおせたと認める。
・右投手としての命が尽きようとしている自分に何ができるのか?迷う飛雄馬。その頃、江川の投球練習中に水木炎が乱入する事件発生。
・長島邸に訪れた一徹の口から飛雄馬の苦悩する様子が語られる。長島監督はここまでの星の活躍に感謝しつつ、かつて左腕が破壊されるまで魔球開発を繰り返したことを回想。二度と繰り返してはならないと話す。
・昭和54年シーズン開幕。
・長島監督の指令により水木炎と対決、炎に何もさせず完勝。飛雄馬はここで水木炎の無限の可能性に気付く(この場面は炎視点ではなく飛雄馬視点で)
・花形・左門は既に打撃ベスト10に。星の復活を待つ。
・飛雄馬への復讐のため、蜃気楼の魔球打倒の特訓中の炎の前に花形・左門が登場。十年早いと完膚なきまでに炎を叩きのめす。
・飛雄馬は長島監督に来シーズンは現役としては契約できまいが、一軍コーチとして残るよう内示される。
・迷いを振り切った飛雄馬は、水木炎が自らの後継者となりうる可能性に賭け、敢えて二軍コーチを希望。その決意を知った長島監督に入団テストを一任される。(ここで実質引退。絶対に必要な場面)
・一徹・伴・花形・左門・明子が飛雄馬の引退を知る。安堵の涙を流す明子。全ては終わったと悔いなく球界を去る花形。再びライバルと戦えたことを誇りに思う左門。
・飛雄馬執念の入団テスト開始。その様子を遠くから見守る一徹と伴。一徹は飛雄馬にかつて親子で巨人の星を目指していた頃の自分の姿を見る。
・見事合格した水木炎。飛雄馬は最後に笑顔を見せ、彼に大リーグボール養成ギプスを託す。一つの時代が終わるのだった・・・。
 
春雷編の内容を大きく変更せず、あくまで飛雄馬視点で描けばこのような感じになるのではないか。
   


14.あと半年連載が続いていたら?②

 (原) (ア) 

 

続いて、ここではアニメ版「新巨人の星Ⅱ」の内容をベースに原作漫画版の続きを推測。再び巨人の星を掴み、長島巨人の優勝を描いた展開を原作に近付けるとどうなるか。

※原作漫画版・新巨人の星で描かれた分までは作品考察13と同じとする。

 

・左門の口から大洋ナインに蜃気楼の魔球の弱点が明かされ、ヤクルトに続き対大洋戦でも星の登板が封印される。

・前年の日本シリーズで一徹が危惧した通り、速球に他球団の目が馴れ、魔球以外が徐々に通用しなくなる。しかし体力を奪う魔球の連投は不可能。焦る飛雄馬。

・「華麗なる墓場」オールスター戦で他球団の強打者も蜃気楼の魔球の弱点に気づく。ついに公となった魔球の正体!

・魔球、速球とも通用しなくなり二軍落ちとなる飛雄馬。復活を待つ花形・左門。

・苦悩する飛雄馬だが、かつて大リーグボール1号を改良し再びライバルたちと死闘を演じたことを思い出す。ならば蜃気楼の魔球の先はないのか?

・そんな時、偶然目にした飛行機の離着陸、練習中に目にした虫のランダムな動き、多摩川グラウンド近くで遊んでいた子供が投げた紙飛行機・・・飛雄馬は何かに気づく。

・同じく二軍落ちとなった魔球を唯一捕球出来た山倉の協力を得て、「大リーグボール右2号」開発に挑む飛雄馬。

・ある日突然、飛雄馬はサイドスローにフォーム変更。二軍戦でも散々な結果で戸惑う周囲。

・蜃気楼の魔球の弱点「本物のボールには影がある」これを克服する魔球とは・・・?

・かつて飛雄馬が突然アンダースローに転向したことを回想し、何かが起きていると 察する花形と左門。そして明子。

・もはや一緒に戦うことは出来ぬ一徹はそれを遠くから見守る。再び右腕まで破壊される運命とならぬことを祈る伴・・・・

・ペナントレースで苦戦する巨人。試合後に長島監督の前に現れた飛雄馬。

・大リーグボール右2号「蜃気楼ボール」登場!!

・一軍復帰した星と山倉。ついに公式戦でベールを脱ぐ蜃気楼ボール。それは右1号の弱点を克服した脅威の新魔球であった。

・花形・左門・ロメオと立て続けに打ち取る飛雄馬。優勝争いが激化するセ・リーグ。

・快進撃を続ける飛雄馬だが、大洋戦で偶然ボールの分身が消え左門が本塁打する。「蜃気楼ボールは風に弱い」

・各球団は魔球の原理の解明と攻略に躍起になり、残像現象を利用した魔球であることが明らかになる。しかし、蜃気楼ボールは原理が判明してもなお打てない!

・そんな中、明子が新しい命を授かったことを知る花形。

・一徹にその報告をした際に、蜃気楼ボールの打倒=選手生命を断つこととなると知り、覚悟を決める花形。

・覚悟を知った一徹は花形に協力。長きに渡るライバルとの決着が近づく。

・巨人か、ヤクルトか?いよいよ53年ペナントレースも終盤となる。

・飛雄馬と花形。最後の対決!花形は選手生命を捨て、蜃気楼ボールを本塁打!ついに大リーグボール右2号破れる。ここに宿命のライバルとの死闘は終わるのだった。

・巨人の猛追を振り切り53年ペナントレースはヤクルトが優勝する。

・そして不死鳥・飛雄馬は新たに決意する「俺とジャイアンツの念願は日本シリーズで優勝することだ。今度は必ず日本一の座を取ってみせる。必ず・・・!」

 

史実通りに巨人を優勝させず、アニメ版「新巨人の星Ⅱ」をベースに原作の続きとして描いた場合、大体このような感じになるのではと予想。

ラストの台詞は筆者が最も綺麗に纏まったラストと思っているコミカライズ版「新巨人の星」(作画・井上コオ先生)より引用。どうしても明確な完結に出来ず、やはり巨人が優勝できない史実の壁を感じた。

ここはやはり、川崎先生に是非とも完結編を!と思ってしまうのがファン心理。

第2の魔球を思い描いていた飛雄馬のその後の活躍を今からでも読んでみたいものである。

 


15.微妙に異なるYGマーク

 (作)

 

画像をご覧頂きたい。

左側は連載当時。右側は近年掲載されたものである。

同じイラストだが巨人軍の帽子「YGマーク」にアレンジが施されている。これでは一見巨人軍とは分かり辛いかもしれない。なにせ初期の飛雄馬は「本物の巨人軍の帽子にサングラスとバット姿」が特徴なのだから。

YGマーク使用の問題が容易に想像できる・・・・。

しかし、近年に限らず当時からこの問題はあったようで、原作漫画版「新巨人の星」「巨人のサムライ炎」は特にアレンジは無かったものの、アニメ版やコミカライズ版(アニメの内容を基に作られた他誌連載の漫画作品)は様々な制限があったようだ。

原作漫画版は元々週刊読売に連載された作品。そのまま使用できるのは当然と言えば当然。胸の「GIANTS」「TOKYO」マークも再現されている。

しかし帽子のマーク。アニメ版初期は前作と同じく普通に描かれていたが、1クールも終わらない内に(第10話~)YGに近い何とも表現し難い不思議なマークに変更されている。エンディングには「協力・読売巨人軍」と堂々と表記されているのだが・・・・。帽子は最も目立つ位置でもあるので、この変更は非常に残念である。

(ちなみに胸のマークは前作アニメと同じく作画の手間を省く為「G」に省略。こちらは違和感は少ないのでは?)

コミカライズ版「新巨人の星」(作画・井上コオ先生)では特に変更なし。しかし、同じくコミカライズ版「新巨人の星Ⅱ」(作画・秋月研ニ先生)は何とGマークに下向きのYが重なるマークに変更されている。これはアニメより大胆な変更で驚く。

既に発表された作品については今更どうなるものでもなく、これによって作品の質そのものが落ちるわけでは決してないが、過去に描かれたイラストの改変は難しい事情がある事は察するものの、あまり歓迎できないのが本音である。

 


16.連載時期と史実との間隔

(作)

 

原作漫画版「新巨人の星」は、作品考察12に記した通り、現実の約一年遅れでストーリーが進行。前年の結果、出来事を踏まえて作品が作られていた。

最終回が掲載されたのは1979年(昭和54年)4月15日号。※実際に店頭に並ぶのは掲載日の約12日前になる。

一旦終了したアニメ版が半年の空白期間を経て再開したのが同年4月14日。まさしく入れ替わるようにスタートしている。梶原先生が最終回掲載号で釈明していた魔球の原理の解明、飛雄馬は死なない等の言葉は、このアニメ版のことを指していると分かる。「読者の尻切れトンボへの不満を万全に解消してくれる筈だ」とまで書かれていたこの釈明。アニメ版が読売新聞社刊の合本巻末等に掲載されていた読者の要望がある程度反映された内容となったのは偶然ではないだろう。

梶原先生がこのアニメ版製作にどこまで関わったのかは謎だが、原作漫画版の消化不良への不満を解消する責任まで務めることとなったアニメ版を軽く見る風潮に筆者は疑問を感じる。

 

続けて本題である、同じく週刊読売で連載スタートした「巨人のサムライ炎」だが、連載開始は前作終了から約一ヶ月後の1979年(昭和54年)5月20日号。殆ど間を置かずスタートしたことが分かる。作者も週刊読売読者も記憶が新しい内に始まったわけだ。

 

再開したアニメ版の舞台は明確な描写がないものの、おそらく1978年(昭和53年)。やはり一年前の史実をベースに話が進み、最後は歴史そのものを変えて物語を完結させている。

対して炎はあくまで史実を踏まえての展開。しかしここで「新巨人の星」以上に厳しい問題が。

 

物語は当時の野球協約の盲点を突き、ドラフト外で巨人が江川卓と入団契約を締結し、世間から猛烈な非難を受けた「江川事件」勃発後から始まっている。つまり1979年(昭和54年)春。

江川卓の巨人入団発表及びペナントレース開幕が4月7日。つまり史実と劇中で描かれる時期が非常に近くなっている。

現実のペナントレース開幕から約一ヶ月後の5月に、その年の江川が正式に入団した4月以降の出来事を描いているのだ(江川の投球練習中に水木炎が乱入する冒頭のエピソードより)

 

前作が一年前の史実を基に作られていた事に対し、炎は僅か1ヶ月半程前の出来事を基に話が作られていたことになる。ほぼリアルタイムのような状況である。

それを踏まえると、野球以外のエピソードや架空の女子プロ野球チームの設定等の理由が何となく見えてくる。

現実の巨人の成績は5位、翌年は3位となってしまう事実。炎は1980年(昭和55年)8月17日号で連載終了。オールスター戦前のビッグ・Oとの対決が最後のエピソードとなっている。

この年の10月17日にセ・リーグは広島の優勝が決定。10月21日に長嶋監督は辞任(事実上の解任)、11月4日に王は引退会見を開いている。

 

仮に1980年末まで連載していたら一体どんな話になったのだろうか?

非常に厳しい状況だったことは容易に想像つくが、これは読みたかったと思う。

最後に史実にはあまり影響を受けない立場のゲストである強打者と対決して終了した炎。

先の見えない状況での連載であり酷な話ではあるが、もしリアルタイムの状況を活かした展開となっていたら、現在と評価は全く違ったかもしれない。

 


17.同時期に終了した飛雄馬の活躍

(ア) (コ) (炎) 

 

アニメ版「新巨人の星Ⅱ」は1979年(昭和54年)9月に予定通り放送終了。同時に同作のコミカライズ版も月刊少年マガジン10月号で終了する。

コミカライズは言わばアニメ版の逆輸入作品であり、放送に合わせて終了するのはごく普通のことだろう。

 

しかし、「巨人のサムライ炎」で飛雄馬が登場する第1章・春雷編(全16回)も同年9月で終了している。これがアニメ放送終了にリンクしているのか不明だが、原作漫画版終了と入れ替わるように始まった三つの作品で、ほぼ同時に飛雄馬の活躍が終了したことになる。

再び栄光を掴み去って行くアニメも「新魔球を開発しライバルたちの待つグラウンドに向かうコミカライズも、新たなる逸材に後を託す炎も、全て同時期に描かれているのは興味深い。

長期放映となったアニメ版「巨人の星」シリーズがいよいよ終わるという時期に、まだ連載中の作品である炎でも「星飛雄馬の引退」が描かれたのは単なる偶然だろうか?

 

原作者はサムライ炎連載開始前に「全く構想を新たにした巨人軍劇画を執筆する予定でいる」とコメントしている。

その構想を新たにした作品に意欲を持って取り組むにあたり、先に中途半端に終わってしまった原作漫画版「新巨人の星」に変則的な形でも決着をつける意図があったのだろうか。

あるいは単に新作への「掴み」としての意味以上のものはなかったのだろうか?

 

だが、結果的にこの第1章こそサムライ炎で最もテンポ良く話が進み、最も熱意を感じる内容だったのは間違いない。

コミカライズ版も新魔球が完成し、これから!という所で終わっているのが残念。同時期に終わった各作品の飛雄馬のその後が気になるところである。

 


18.第3のライバル

 (原)

 

ロメオ・南条はビル・サンダーと入れ替わるタイミングで登場した第3のライバル。前作のアームストロング・オズマ的な立場のキャラ。飛雄馬の巨人軍復帰2年目は花形も球界に復帰し、これからが本番といった感でスタート。ロメオも初登場時は今後の激闘を期待させたものの、対決シーンはあまり多くはない。花形の復帰と再び対決する両雄に見せ場を取られてしまった感がある。もっとも花形もそれほど対決シーンが多かったわけではない。このシーズンはコントロールが定まった飛雄馬とライバルたちとの激闘より鷹ノ羽圭子を巡るエピソードの方が印象に残る。それだけ内容が濃い(ドロドロと言った方が良いか・・・・?)

開幕後、花形、ロメオとの初対決、左門に欠点に気付かれて打ち込まれてからの復活と来て、彼女のエピソードが始まるので、全編通してみると前シーズンから対決場面のあった左門以外は対決の機会が少なかった。

恋に悩み迷走する飛雄馬と勝負には非情に徹する花形と左門だが、ここでロメオはストレートな恋敵として描写されているので、結果ロメオは野球以外の場での印象が強くなってしまった感がある。鷹ノ羽圭子のエピソードは丁寧に描かれているが、ロメオはその荒々しい言動行動とは正反対に血はあくまでもクールなキャラなので、活躍の機会があればオズマのように花形左門に匹敵する名キャラになれた可能性はあったのでは?

ビル・サンダーの弟子という設定も物語に活かせていないのはもったいない。ロメオとの対決描写よりスクリュー・スピン・スライディング破りを伝授された掛布との対決の方が印象に残るのは事実。

だが、急ぎ足の展開が残念な最終第7章「新魔球の章」で唯一と言ってよいほどロメオとの対決場面は粗さを感じず、彼らしい合理的な考え方で飛雄馬に挑む姿が見られたのは幸いである。

今までの全てのライバルが魔球の打倒を目標としたのに対し、魔球を相手にしないロメオ。このキャラクターを掘り下げればもっと面白くなったはずだ。

圭子との出会いはもう少し後にして、暫くは出揃ったライバルたちとの死闘を読みたかった。この昭和52年シーズンで恋に悩む姿が重視されているのは、ヒロインの登場が作品を盛り上げるイベント的なものだった事情もあるが、そもそも本作ではヒーロー然とした飛雄馬が姿を描いていないことも理由かもしれない。

この展開のリアルさ、地味さをどう捉えるかで本作への印象は大分変わるのではないか?

 


19.単行本化に恵まれない作品

 (作)

 

「巨人の星」は「あしたのジョー」と並ぶ梶原一騎先生の代表作の一つであり、続編の「新巨人の星」も様々な単行本が出ていた。最もメジャーな単行本は現在(2022年)電子書籍化もされている講談社コミックス(全11巻)だろう。連載当時の状態にもっとも近いのは読売新聞社刊の合本(全7集)になるが、内容に大きな違いはない。いずれも未掲載の扉絵が多く、今後完全版の発売に期待したい。しかし、「巨人の星」「新巨人の星」は容易に読めるが、「巨人のサムライ炎」は全編を読む事は非常に困難となっている。全話を収録したものは当時発売された読売新聞社刊の合本(全4集)しかない。現在読むことができる単行本及びそれを電子書籍化したものは2巻で終了しており、その内容は合本第3集・風雪編の途中まで。アメリカン・ドリームスのコニーとマギーとの騒動が解決した所でストップしている。特に途中まで収録とは記載されていないため、ここで完結と思ってしまう読者がいるかもしれない。これでは野球にも巨人にも直接関係ない色恋沙汰のトラブルが解決して一安心したところで完結となり、何とも締まらないラストとなってしまう。この作品を「巨人の星」の完結エピソードとして読むなら1巻のみで構わないが、作品全体を読むことができないのは問題だ。未収録部分の単行本、電子書籍化が待たれる。

また、井上コオ先生、秋月研二先生のコミカライズ版はそもそも単行本化されておらず、合本という形で全編収録されたものも存在しないので、サムライ炎以上に読むことが困難となっている。このまま歴史に埋もれてしまうのはあまりに惜しい。

まだネット環境が存在せず、情報収集は出版物しかなかった時代に広まってしまった「新巨人の星」への評価をさらに微妙にしてしまった偏った作品評の数々。こういったことが繰り返されないよう、誰でも作品自体を手軽に読めるようになって欲しいものである。まずは読んでみなければ何も判断できないのだから。

現時点(2022年)で「新巨人の星」を初めて読む方は、少なくともサムライ炎1巻までは通して読むことをお勧めしたい。

 


20.執念のコーチ・飛雄馬の原型

 (原) (外)  (炎)

 

読切作品「巨人の星外伝 それからの飛雄馬」に登場する飛雄馬は、表面上は非常にクールな人物として描かれている。(その内面は熱く、かつての飛雄馬のままだが)

この作品で描かれる優秀なコーチとしての描写とクールな態度。これに非常に近い雰囲気の飛雄馬を他の作品でも見ることができる。

一つは「新巨人の星」序盤の内面描写が少ない謎の代打屋時代。その言動も少々荒っぽく、サングラス姿で表情は見えない。伴と再会し、ビル・サンダーの協力を得て本格的に再起を目指し始めた段階では内面描写も台詞も増え主人公らしくなり、荒々しさは残しつつも序盤の代打で小銭を稼いでいた頃とは雰囲気が変化している。

もう一つは「巨人のサムライ炎」本編への登場から退場までである。さらに読切の雰囲気に近くなっており、コーチとしての立場も共通している。この3作品に登場する寡黙な飛雄馬はどれも登場期間は短いものの非常に格好良い。また現役を退いた状況である事も共通点。

筆者もサムライ炎に登場する飛雄馬が、この読切に登場した際の立場、雰囲気に近いと気付いたのは大分後であった。それに気付いた時に長年感じていた「コーチ・星飛雄馬」へのマイナスな印象(違和感と言うべきか?)が大幅に変化したと記憶している。

 もし、サムライ炎で飛雄馬が現役引退後もレギュラーで登場していたらどうなったのか?その答えはこの「それからの飛雄馬」にある。

日向三高野球部の新たに入った部員たちを厳しく鍛えるシーンを読むと、偶然とはいえ、ここで既にコーチとしての飛雄馬像はでき上がっている。

描かれた部員たちとの距離感や態度がそのまま水木炎との関係にも引き継がれたのではないか?

「地獄の伊東キャンプ」で炎を徹底的に鍛え上げる役割は飛雄馬であっただろうし、血気盛んな主人公とクールな飛雄馬の師弟話となれば、かなり面白かったのではなかろうか。

しかし、本来サムライ炎が目指していた明るい作風にはならなかっただろう。そういう意味では主人公が引き継がれた時点での退場は必然だったのかもしれない。

 


21.メイン視聴者に配慮した台詞の変更

 (原) (ア) 

 

梶原一騎先生原作の作品には独特の台詞が存在する。本作にも当然あるが、やはり掲載誌が週刊読売であり、大人が読むことを前提としているためか少々難解な表現も中にはある。

アニメ化の際も名シーンはなるべく原作の台詞を忠実に再現して欲しいが、メイン視聴者である子供を対象とした場合には配慮も必要なのは事実。意味が分からなければどんなに優れた内容であっても面白さは伝わらない。

当時のアニメ誌の記事に以下のようなコメントが掲載されている。「作品の性質としては巨人の星は結局、巨人の星としてしばられるというものです。キャラクターの大人の悩みを低年齢の子供たちがどこまで分かるかがポイントです」(月刊アニメージュ 昭和54年5月号 作画監督・香西隆男氏)

このコメントはアニメ版「新巨人の星Ⅱ」開始前のもの。前作「新巨人の星」よりメイン視聴者層を意識した新しい要素を組み込んだこの作品でも子供へ配慮しつつ、あくまで「巨人の星の雰囲気」は維持することを念頭に製作されていたのが分かる。

例を挙げると、第20話「必殺のスライディング」で原作の台詞をこう置き換えている。巨人復帰に燃え、テスト生として巨人軍キャンプに参加した飛雄馬についに紅白戦参加のチャンスがやってくる。打席に立ち、飛雄馬の眼前にボールが迫る!その時の飛雄馬の独白。

 

原作漫画版は「ひさびさに接するプロの白球!!いまおれは生き返った!いまおれは法悦境だ!巨人を去って以来ずっと生ける屍だった星飛雄馬がいま甦った!」とある。生きたプロの球に接した飛雄馬が眼前に迫るボールを避けもせず笑みを浮かべる場面。執念と狂気を感じる名シーンと言えよう。これをアニメ版ではどう表現したか?

 

アニメ版は緊迫感あるBGMが流れ、投げられたボールが迫る所でスローとなり、背景が独特の配色に変わる。そして迫るボールを前に「これがプロの球だ!何年ぶりかで接する生きた球だ!俺は生き返った!巨人軍を去って以来、ずっと死んだも同然の俺がいま甦ったんだ!!」となっている。内面描写と共に口元に笑みが浮かぶこのシーン。原作と意味は同じでも法悦境、屍といった単語がシンプルな言葉に置き換えられている。本作に限らず、アニメ化された作品は原作から台詞を変更したことで良さが失われてしまう例もあるが、このシーンは作画、曲、声優の熱演が一体となり、原作漫画版の緊迫感と飛雄馬の狂気を十分再現できたと言えるだろう。

アニメ版は他にも台詞の置き換えが見られ、低年齢層への配慮に相当苦心した様子が伺える。あくまでも大人の読者を対象とした原作漫画版と、前作と同じく子供を対象とする為にアレンジされたアニメ版。それぞれの良さがあるのは間違いない。

 


22.「怪物」江川卓のキャラクターの変化

 (炎)

 

所謂「江川事件」で巨人は世間から猛烈なバッシングを受けたが、作中における「怪物」江川卓の扱いは徐々に変化している。

江川の活躍時期は「新巨人の星」の連載時期とは被っていない。その名が登場したのは終盤。ハワイで伴、一徹の協力を得て新魔球の開発の特訓中に、その速球を見た地元の人間が飛雄馬を江川と勘違いしている。原作漫画版は昭和53年シーズン途中で完結するので、まだ江川は入団する前。江川事件が起きるのも当然シーズン後であるため、彼について触れたのはこの場面のみであった。

アニメ版では昭和53年に長島巨人はついに日本一となり、飛雄馬は巨人を去るが、その際に次世代の巨人の星・江川が飛雄馬に挨拶している。

結局、原作漫画版もアニメも大きく取り上げることはなかった。本格的に作品内に登場するのは「巨人のサムライ炎」である。何せ話の掴みが「江川卓を打った男・水木炎」なのだから。大いに世間を騒がせた事件そのものについては触れておらず、物語は巨人入団後の投球練習シーンから始まる。この時の江川は「時の人」「怪物ルーキー」としてマスコミの注目の的という扱いであった。

考察16「連載時期と史実との間隔」でも触れたが、史実をほぼリアルタイムで追いかけるような形で連載していたサムライ炎。当時のスポーツ誌に掲載された梶原先生の寄稿等も今後の活躍に大いに期待していたことが分かる内容であった。おそらくエリート・江川卓と野生のサムライ・水木炎を対照的に描いていく予定だったのでは?

しかし、炎が入団した昭和54年は巨人が5位に沈んだ年であり、江川はおろか炎も活躍の場に恵まれなかった。その後の秋季キャンプ(地獄の伊東キャンプ)では才能溢れる江川と破天荒な炎が比較される場面はあるが、徐々に出番は減り、結局最後まで物語に大きく関わることはなかった。

巨人のサムライ炎という作品自体が比較的早い段階から本筋からやや外れた展開となってしまったこともあるが、江川に関しては最終シリーズである「激闘編」ではリスクを避ける合理主義者的な一面が強調され、ピッチャー返しで炎を狙うビッグ・Oに恐れをなし、自らの当番を拒否する姿が滑稽に描かれる等、序盤とはかなり落差のあるキャラクターとなってしまった。この扱いの変化・・・史実と連載時期が近すぎるのも一因ではあると思うが、原作者の期待に反し入団当初は中々活躍できなかったことが作品に影響しているのが分かる。(実際の江川選手は徐々に怪物の名に相応しい活躍の場が増えていくのだが。)

やはり、低迷する第一次長嶋政権末期とリンクした作品を作るのは難しかったと言えよう。

 


23.星飛雄馬の引退時期は?

 (原) (炎)

 

右腕投手としてカムバックした飛雄馬だが、その在籍期間は左腕時代と同じく短い。

栄光の巨人の星を掴んだ左腕時代も僅か3年。右腕時代もほぼ同じである。

ただし本編で描かれているように容易にカムバック出来るものではなく、昭和51年シーズンはオールスター戦後にようやく投手として復活している。よって投手としてシーズン通して登板していたのは52年、53年の2年。連載は53年オールスター戦よりも前に終了しているので、本編で描かれた右腕時代の活躍は51年後半戦~53年前半戦まで。最も安定していた52年はライバルが揃い、コントロールも改善できたが、一番印象に残るのは圭子を巡る人間関係のドラマであり、純粋に野球の描写で盛り上がっていたのは右腕投手としての復活に執念を燃やしていた51年だろう。

そして53年。蜃気楼の魔球で向かうところ敵なしの飛雄馬だったが、花形、左門に打ち込まれた所で物語は突然終了。ここから約半年飛んでしまい、「巨人のサムライ炎」は53年シーズン終了後からのスタートとなるため、後半戦はどんな展開だったのか一切不明である。スカウト沢田の台詞「蜃気楼の魔球を花形、左門に打ち込まれて以来、パッとせぬ落ち目のエース・星にしてみれば、わざわざライバルを引き立てることになりますからな」から推測するに、花形、左門のいるヤクルト・大洋戦以外は継続して登板。そして開幕前から速球に限界が見え始めていた事実から徐々に出番が減っていたのでは思われる。(しかも蜃気楼の魔球は連投ができない。)魔球の原理が公になった時期は不明だが、既に一般人に攻略法を知られているので53年シーズン終了後は魔球、速球とも限界が来ている状態である。

前作と異なるのは新魔球を開発するための戦線離脱が出来なかったこと。絶対的王者・巨人軍が既に存在しない事実が物語に影響し、右腕投手としての選手生命にも影響してしまった。

水木炎が巨人に入団した時は既に54年シーズンは開幕しており、この入団テスト前に飛雄馬は「来シーズン(55年)は現役としては契約できまいが一軍コーチとして残れ」と長島監督に内示され、それを断りその場で二軍コーチに就任している。

筆者の推測だが、この二軍コーチとは水木炎が自らの後継者になり得るかテストするため「だけ」に就任したのであり、その執念のテストに見事合格した炎に全てを託した後、彼は巨人軍を去ったのではないか?それだけ水木炎の可能性に賭けていたのではないだろうか。

その後もレギュラーとして登場していれば実際に発表された作品より面白くなった可能性はあるが、作品自体が短命だったことを考えるに、飛雄馬の物語を完結できた時点で退場して正解だったかとも思う。

 

これらを踏まえ、星飛雄馬の引退(及び巨人軍退団時期)は昭和54年シーズン序盤。それを追って花形の引退は54年シーズン終了後と解釈する。

※本項目は「巨人のサムライ炎」を史実に含むものとする。

 


24.原作漫画版、アニメ版終了時の作者コメント

 (原) (ア) 

 

ここでは03.「創作ノート」の謎で触れた連載終了時及びアニメ終了時の原作者のコメントを紹介する。

 

 

【原作漫画版 終了時】

 「新・巨人の星」完結に際して

 

おそらく読者諸賢の多くは意外とされようが、この回で「新・巨人の星」は完結させて頂くこととなった。

もっとも一度は数年前に完結した「巨人の星」が本誌編集部の熱意にほだされ、それこそ不死鳥のように甦ったのであり、私も作画担当の川崎のぼる君も新たなる情熱を傾け取り組んできた。しかし、今回の完結の理由は、そのよきコンビ川崎君のよからぬ健康状態である。彼は元来が蒲柳の質であるのを長年のコンビとして知る立場であってみれば、ふたたびその才の開花を念ずるためにも詮方ない。
それにしても作品上の問題、ナゾがまだ残りすぎる。一例が左門豊作によって看破された「蜃気楼の魔球」の何故ボールが三つに見えるのかの解明は?また星飛雄馬の不屈の根性が生み出す第二の魔球は? 
ところが読者にも私にも幸運なことに、きたる四月七日(土)からNTV系で「新・巨人の星II」が放映される。私は読者への責任上からも、わが飛雄馬への愛情からも、この製作スタッフに積極的に参加する。つまり今後のストーリー展開に予定していた創作ノートを全部提供する、と約した。

飛雄馬は死なない。消えない。どだい長島巨人が広岡ヤクルトにしてやられ、今季また前途に楽観を許されぬ段階で死んで、消えてたまるか!

彼はいきいきとブラウン管で躍動するであろう。その多情多感の青春を泣きもし、笑いもしよう。そして、読者の尻切れトンボへの不満を万全に解消してくれるはずだ。TV版「新・巨人の星II」に、ご支援をお願いするとともに、もう一つ、ここでお約束させて頂く。それは____
ごく近いうちに再び本誌上に、まったく構想を新たにした巨人軍劇画を執筆する予定でいる。この新作が万一「巨人の星」より見劣りする作品になりそうなら私は筆を執らぬ。敢えてチャレンジするのは、このところ見渡
してマンネリ停滞ぎみの野球劇画に新風を吹き込む私なりの自信あってこそだ

できれば新作の中にも飛雄馬に登場して貰いたいなど、現在ひそかに想を練りつつある。乞う、ご期待!」(週刊読売 1979年4月15日(第16号)掲載)

 

 

【アニメ版 終了時】

※アニメ製作スタッフの各コメントが掲載されたページの中から原作者コメントを抜粋

 

単行本が1000万部売れ、視聴率が30パーセントを超えてパーティーをやったことなど、ようするにこの「巨人の星」はたんにまんがの読者層だけでなく、社会的なひろがりをもった作品ということがいえると思う。

「巨人の星」はスポコンの代表だが、10年以上たつと読者、視聴者の好みも変わり、もうホットなだけじゃダメな時代になった。

そういった時代の流れもふくめて「一時代を画した作品がいよいよ終わる」という感慨はある。でもぼくは過ぎ去ったものは、あまりあれこれ考えないことにしているけどね(笑)

最後に、足かけ12年もやってくりゃ、ふつうはダレるものだけど、ダレないで変わらぬ情熱を作品つくりにかたむけてくれたスタッフに感謝している。(月刊アニメージュ 1979年10月号掲載)

 


25.「続編」と「姉妹編」

 (炎) 

言うまでもなく、「新巨人の星」は「巨人の星」の「続編」である。

では「巨人のサムライ炎」は「更なる続編」なのだろうか?

 

この作品は巨人の星世界においてどういう立ち位置の存在なのか当サイトでは度々触れているが、所謂「続編」の要素として以下の点がある。

 

①梶原一騎先生原作の作品であり、且つ設定上の矛盾がない(前作と辻褄が合っている)

②前作終了からほとんど間を空けず、同じ週刊読売誌上に連載開始。

③前作終了時の原作者コメントで、既に星飛雄馬三度目の登場について触れている。※24.「原作版、アニメ版終了時の作者コメント」参照

 

逆に続編とは言い難い点として、

④作画担当の川崎のぼる先生は一切関与していない。

⑤③と同じく原作者コメントの中で今後予定していた展開をアニメ版で明かすと記している点。

⑥前作との物語上の関連性が極めて薄い

 

①は設定上の矛盾は無い(アニメのような設定変更がない)が展開上での疑問は少々存在する。

④は重要で、当サイトでもこの点を重視しているが、続きと仮定して読むことで原作漫画版の未完の物語を完結させられる。

⑤は実際の話、物語の大幅なアレンジにより原作漫画版最終回から直結できる内容ではないので成立しない。

 

元々「新巨人の星」も川崎先生のスケジュール的な問題で、作画担当は別の方になる可能性もあった。それが回り回って再度川崎先生へのオファーとなった作品である(「夕やけを見ていた男 梶原一騎伝」より)

また梶原作品では途中で作画担当が変更となった作品が複数存在する。画が違う事によって雰囲気が大幅に変化してしまうが、それだけをもって別物とするのは難しい作品(物語の途中で作画担当交代となった「柔道一直線」等)もあれば、物語が仕切り直され、事実上別作品として再スタートした「空手バカ一代」等のような例も存在する。)

サムライ炎は後者に近いが、違うのは主役始めキャラが一新、前作のキャラは序盤のみの登場であり、以降の物語には関与しない点である。続編と呼ぶには関連性が薄い。

 

そして、連載当時に掲載されていた合本の広告には、常に「新・巨人の星の姉妹編」と記述がある。

 

しまい‐へん【姉妹編】 の解説

小説・戯曲・映画などで、内容・趣向などに関連性・共通性をもたせてつくられた作品

 

当時から「続編」ではなく「姉妹編」と記されていた事実。

ある程度の共通性がありながら、前作と直結した続編ではない。つまり当サイトの解釈「続編と置き換えて読むことも可能な独立した作品」と一致する。

 


26.「新巨人の星Ⅱ」は何時の出来事なのか?

 (ア)

 

アニメ版「新巨人の星」は第52話で一旦終了。昭和52年ペナントレース開幕直後で物語は中断。半年後、「新巨人の星Ⅱ」とタイトルを改めて再スタートとなった。

物語は完全に繋がっているものの、その作風は変化。「新巨人の星」は原作に細かいフォローを加えながら史実に忠実にアニメ化されているので、劇中で頻繁に日時、場所の表示があった。そして何より、長島監督が飛雄馬と並ぶ存在感を放ち、常に物語の中心にいたのが特徴でもある。対して「新巨人の星Ⅱ」は星飛雄馬というキャラクターをより深く掘り下げている。物語の視点は長島監督と巨人軍から飛雄馬へと移行したのである。長島監督は引き続き登場するが、物語上のウエイトは変化している。そして本題だが、再開した物語は昭和52年のペナントレースでの出来事を描いているのか当初は全く不明であった。「今シーズン」等曖昧な表現のみで、各選手も長島監督、王選手を除き、前作ほど物語に関与してこない。史実を反映させた台詞等もほぼ出てこない。これは意図的と思われる。台詞や劇中テロップ等がないため、映像から判断すると、以下の特徴がある。

 

①左門の属する大洋ホエールズのユニフォーム変更(オレンジ→紺へ)

②試合描写においてスコアボードを確認すると、74話の巨人・ヤクルト最終戦で巨人の3番打者がシピン(昭和53年より巨人に在籍)

③最終回のシーズン終了後、来季に向けて再び動き出した選手達の中に期待の新人として江川が登場。

 

昭和52年は巨人がV2を達成し、昭和53年はヤクルトが優勝している史実と「新巨人の星」が昭和52年開幕直後で終了していることから「Ⅱ」は何年の出来事なのか慎重に確認したところ、結論として「巨人が優勝するルートで描かれた昭和53年」となる。

つまりアニメ版は「描かれていない昭和52年ペナントレース」が存在することになる。どんな物語があったのか気になるところだ。

 


27.左時代より凄まじい無間地獄とは?

 (原) (ア) (炎) 

 

右腕投手・星飛雄馬はかつての左腕時代とは全く別の投手である。

一徹の口からも語られているように、右腕にかつてのような針の穴をも通す正確な制球力はない。しかし、それゆえに大リーグボールを開発する原因となった球質の軽さとは縁が切れているという設定となっている。

左腕投手・星飛雄馬は言うまでもなく少年時代から厳しく鍛え上げられており、巨人入団時点でプロの投手としての下地は完成している。思わぬ欠点が判明したことで魔球・大リーグボール1号を開発し、以後は栄光を手にするその時まで激闘が繰り返される。それに対し右腕投手・星飛雄馬は、大リーグボール養成ギブスによって逆腕が同時に鍛えられていたのに気づいたのは既に引退していた昭和50年。巨人に復帰する前年である。

少年時代から高校野球を経て巨人に入団するまでの修練の期間と比べて、右腕投手としての可能性に気付いてからマウンドに立つまでの期間は僅か1年。しかしコントロールは定まらず、それを逆手にとった戦術で51年ペナントレースへの参戦となった。投手としての一応の完成は翌52年まで待たねばならない。その後も未熟なフォームから球種を読まれ、やがて驚異であった速球も通用しなくなることが予想される展開となる。大きな試練を乗り越えると、さらなる試練が飛雄馬に立ち塞がる。

一徹の言う「左腕時代より一層凄まじい無間地獄(むげんじごく)」とは、この試練の連続を指している。投手としての下地のない右腕で左腕を超えるのが困難なのは当然だろう。逆に言えば、短期間で巨人復帰を成功させたビル・サンダーの指導がいかに優れていたか分かる。

 

原作漫画後半でも右腕で大リーグボール1号を試験的に使用し「右腕の制球力では使えない」とシビアに判断するシーンがある。さりげない台詞だが、ここでも左腕に劣る点が描写されているのは興味深い。

恐るべき可能性を秘めるものの、そのスピード、制球力とも左腕には及ばない右腕でどう戦うのか?最下位の長島巨人を救うことはできるのか?この作品(特に前半)は飛雄馬というより長島監督を中心に話が進んで行く点からも、前作のようなカタルシスを感じる描写が少ない理由や、どの年齢層に向けて発表された作品だったのか見えてくる。

 

そして一徹の「作品」ではない飛雄馬の行く着く果ては?

アニメ版はついに右腕は左腕を超え、巨人のエースへと成長した。原作漫画版では左腕を超えられず、苦しみの果てに次なる可能性に賭け、再び読者の前から去った。前作からの流れや設定を踏まえるに、より自然な流れは後者となるだろう。限界まで挑戦し続け、ついに力尽きた主人公。

長島巨人を救うために帰ってきたヒーローの物語が、完全なる勝利を掴むことなく終わってしまうのである。ここには結果よりひたむきに努力する姿の尊さをテーマとする梶原作品の特徴が(史実に影響された結果とはいえ)色濃く反映されているのではないだろうか。

これは所謂「滅びの美学」とは全く異なる。右腕投手・星飛雄馬は最下位の巨人軍を救い、更に日本一を目指す中で力尽きるが、その意志は新たなる逸材に引き継がれたのである。

飛雄馬はその「無間地獄」から最後に脱け出すことができたのだ。

 


28.第2の相棒・丸目 太

 (ア) 

 

アニメ版パート2より登場した新キャラクター「丸目 太」

その容姿、相棒としての立場。まさしく「第2の伴宙太」として登場したのは間違いない。

パート2における飛雄馬は投手としてほぼ完成しており、魔球完成後は実質無敵の状態であったため、パート1のような未完成ゆえの苦闘のドラマはなかった。変わってその成長が丁寧に描かれたのが丸目である。

その容姿は伴と同じく大柄であり、青雲高校出身であること、他の運動部の主将であること、初めは飛雄馬に反感を持っていたこと、その速球をボロボロになりながら捕球し野球に目覚める等々・・・意図的に伴のエピソードを被らせている。

こういった先代を引き継ぐ立場となる新キャラクターは評価が今一つなことが多いが、丸目は違った。彼はとにかく暴れ、殴られ、怒られる。しかし、そうでなければ伴代わる相棒という大役は務まらない。全23話という短い話数の中でしっかりとキャラを確立させたことは評価すべきである。

原作漫画版で丸目の立場(星飛雄馬が魔球を投じる際の専属捕手)にいるキャラクターは山倉選手だが、「蜃気楼の魔球を唯一捕球できる」以外の描写はなく、物語に深く絡んでくることもなかった。

丸目も「蜃気楼ボールを捕球出来る唯一の存在」であるが、様々なエピソードにより、印象深い存在となった。これは同じく原作漫画版で「壁」として飛雄馬の右腕投手復帰への練習相手を勤めた巨人軍捕手にアニメ独自のキャラクターを与えた、楠木の例をより発展させたものだろう。

丸目の成長の描写はパート2の特徴でもあるが、物語の主役はあくまでも飛雄馬であり、丸目は魔球開発のドラマに続く形でその魔球を捕球できるのか?という「相棒」としての立場を守った。

番組スタート時にはパート1と作風が変化する、その成功の鍵を握る人物が丸目である、と雑誌に紹介されていた。その役目は十分果たしたと言えるだろう。

 

●丸目の戦績(殴られた回数)

 

第1話 15回(飛雄馬)大口を叩くも飛雄馬の球を捕球できずボコボコに。

第6話 9回(伴)喫煙しようとした所を伴に張り倒され、その後何度も投げ飛ばされる。

第7話 1回(兄)弟と違い常識人の兄に殴られ諭される。

第8話 1回(飛雄馬)試合中に暴れたため飛雄馬に殴られる。

第11話 19回(伴・飛雄馬)伴に投げ飛ばされ、魔球を捕球できずボコボコに。

第13話 (伴)何度もバカモン!と怒られる。

第17話 (伴・ゴスマン)伴にバカモン!と怒られ、決闘を挑んだゴスマンには完全KOされ、河原で倒れている所を発見される。

第18話 (伴)電話口でバカモン!と怒られる。

第23話(最終回) (伴)酔った伴にバカモン!と怒られる。

 

もはや伴に怒られるシーンは名物と化していた(笑)

原作未登場であるため現在知名度の低いキャラクターではあるが、パート2視聴の際は彼の成長に注目して頂きたい。

 


29.短期間で二度来日?不可解な描写

(原) 

 

昭和52年ペナントレース中に鷹ノ羽圭子を巡るトラブルで飛雄馬と乱闘騒ぎを起こしてしまう事となったロメオ・南条。

その後調子を崩し、不本意な成績のままシーズンを終えたことが彼の口から語られているが、ヒューマ・ホシへの復讐を誓い、シーズンオフは母国アメリカで猛特訓を積み、必殺のピッチャー返しを身につけて再び日本に帰ってきた。

最終第7章「新魔球の章」で来日シーンが描かれるが、ここで不可解なことがある。

ハワイで新魔球開発の極秘特訓を行い、その後宮崎キャンプに参加した飛雄馬は記者からロメオが帰国し、恐るべき投手攻略法をマスターしたと聞かされる。

その後、キャンプ最終日に新魔球はマスコミに公開され、オープン戦に突入した。

そしてついに昭和53年ペナントレースが開幕する直前で、何故か再度ロメオの来日シーンが描かれている。そこでは報道陣に「もう来日しないのではないか」と噂されていた云々の台詞があり、星の大リーグボール右1号を報じた新聞に同じく「ロメオ・南条(阪神)ようやく来る」の見出しが。

ここでロメオは来日が遅れた理由はヒューマ・ホシへの復讐のためだと語り、直後その投手攻略法を披露している。

2度目の来日シーンの報道陣の台詞からも、巨人軍の宮崎キャンプ前に1度来日し、その後一旦帰国、ペナントレース開幕直前に再び来日したというのは考えにくい。好意的に解釈したいところだが、おそらくミスだろう。

この時期は残り話数から推測するにおそらく次回作への準備、最終回に向けての調整も始まっており、設定面でのチェックができなかったのであれば残念である。

 


30.生来が右利きである事を知っていた飛雄馬

(コ) 

 

新巨人の星序盤の山である「大どんでん返し」の正体

・・・自分の生来の利き腕が右であることを偶然知るシーン。

突然のビル・サンダーの裏切りと、球界復帰を妨害する一徹に怒りを爆発させた飛雄馬は、思わず「右手」でボールを握りバックネットへ投げつける。しかし、そのボールは飛雄馬も伴もサンダーも予想しない恐るべき球威であった!!・・・この流れはアニメ版でも忠実に再現されているが、月刊テレビマガジン誌上に連載されたコミカライズ版(作画・井上コオ先生)では驚くべき事実がある。

このコミカライズ版はアニメ版(パート1)放送に合わせる形で連載がスタートし、本誌連載分全11話と増刊号掲載分の2編が存在する。生来が右利きであることを知る流れは、シチュエーションは異なるが偶然気付く点で共通している。

しかし、1978年1月増刊号に掲載されたエピソードは、コミカライズ本編の時系列に含まれない独自の内容となっている。

打者としての巨人復帰を目指す星のために伴がアメリカより大物打撃コーチであるビッグ・ビル・サンダーを呼び寄せ、専属コーチとなって鍛える点は原作漫画版と同じ流れだが、その後球界復帰を阻止する為に暗躍する一徹(原作では花形)により阪神の打撃コーチ就任の要請を受け、田淵選手の打撃に魅せられたサンダーはその話を受ける。

それを知った飛雄馬は、その場で怒り任せに右腕でボールを投げるが、驚く伴とサンダーに対し、彼は静かに生来が右利きであることを明かすのだった・・・・。大どんでん返し以前に自らの身体の秘密を知っていた驚くべき展開である。

 

その飛雄馬に対し、右腕投手としてカムバックできる可能性を感じるサンダーと、球威はあっても滅茶苦茶なコントロールでは無理だと話す伴。飛雄馬は最初から自分の利き腕と球威を知りながら投手復帰は眼中になく、純粋に打者復帰を目指していたことになる。

コミカライズ本編で「大どんでん返しの正体」が明かされるのが1977年12月号別冊付録に掲載された第3話であり、ほぼ同時期に異なる右投げ披露のエピソードが作られた理由は不明である。

掲載されたのは本誌ではなく増刊号であり、単発読切として成立する内容であることから、コミカライズとは完全に切り離された別の作品と解釈するのが正解だろう。

このエピソードはビル・サンダーのお茶目ぶりも微笑ましく(階段から落ちる真似をして周りを驚かせる、銭湯を気に入る等々)本編同様、このまま埋もれてしまうのはあまりのも惜しい作品である。

単行本化の際は是非収録して頂きたい。

 


31.「蜃気楼の魔球」の原理を解明せよ!

 (原) 

 

最後まで明かされずに完結してしまったため、今も謎のままである原作漫画版・大リーグボール右1号「蜃気楼の魔球」の原理。

 

「04.原作漫画版大リーグボール右1号 蜃気楼の魔球とは?」でも触れたが、断片的に語られた特徴を再度ここで整理してみる。

 

●魔球の特徴

①「ボールが三つに変化」

②「変化に球速は関係なく、ハーフスピードで投じられる」

③「変化を見る事が出来るのは打者、捕手、審判の3人のみ」

④「非常に体力を消耗し連投は困難」

⑤「実体あるボールには影がある」

⑥「デーゲーム以外は使用不可」

 

●花形が魔球打倒の為に行った特訓

「投手一人、ピッチングマシン二台から同時に投じられた三つのボールの中で、一つだけ黒いボールが混ざっており、それを狙い打つ」・・・これは⑤を見抜いての特訓である。

 

●捕手・山倉も花形と同じく影を見て捕球していた。⑥の通り、曇った日等は捕球が困難となるために星の登板した例はなく、審判は山倉のミットの位置でストライク・ボールの判断をしていた。

 

影を狙い撃つ特訓は難易度が高いと劇中でも語られているが、これによって対ヤクルト戦での星の登板が消え、他球団に勝てば勝つほどヤクルトは漁夫の利で浮上することとなった。

 

果たしてこの魔球の正体は何だったのか?

アニメ版「蜃気楼ボール」は原理が明かされたが根本的に異なる魔球であり、その原理を原作漫画版に当てはめる事は出来ない。長く研究対象となっているが、現時点で最も矛盾が少なく、いかにも「巨人の星」的な案を頂いた。

 

●蜃気楼の魔球の原理(予想)

 

・「蜃気楼」の名の通り、実際の蜃気楼が発生する原理を応用した魔球である。

・スピードを抑える分、極限までボールを回転させる(だから疲労度が高く連投が困難となる)

・投じられたボールは、その凄まじい回転の摩擦で空気中に熱を発生させる。

・回転するボールの周辺と打者の位置の「空気の温度差」によって光が左右(又は一方に)屈折する。

・光の屈折によりボールの周辺に「複数のボールの虚像」が発生。

・従って、打席側に立ち、向かってくるボールの軌道を目で追う打者・捕手・審判しか「ボールの虚像」は見えない。

・その回転数、温度差から生じるボールの分身は最大で三つである。

 

回転するボールが空気中に熱を起こす・・・・例えるなら、扇風機のモーターが後部に熱を排出する原理の応用であり、さらに打者の位置との温度差が生じることでバッテリー間に大気が掻き乱された空間が出来、蜃気楼が発生しやすくなる。

そして、回転とともに大きな壁がスピードであり、早すぎても蜃気楼が発生する前に打者に到達し、あまりに遅くても打者に見抜かれてしまう。ほどほどのハーフスピードでなければ成立しない。

 

この魔球を生み出す為に最も適した場所は、人目を避ける意味も兼ねて、気温は高いが湿度が低く、気圧の変化が小さいハワイ辺りが適当ではないか?(そして原作のハワイでの特訓エピソードへ続く)

 

作中で明かされた特徴①~⑥と矛盾せず、且つ「いかにも」な理屈であり、「そんな馬鹿な」と思うバランスも含めて非常に有力な予想と感じたので、ここに紹介させて頂く。

 

協力:平沼センジ様

 


32.関連商品の特徴

   (ア)  (作)

 

本作に限らずテレビ化された作品は番組開始直後に多くの商品が一斉に発売される。それは当然のことだが、番組やキャラクターのイメージが固まる前に設定画等を参考に作られるため、少々違和感を覚える商品もあることは否定出来ない。

「新巨人の星」序盤は飛雄馬は謎の有料代打屋という立場で当然ユニフォームは着ておらず、長髪で後の巨人復帰後とは見た目の印象が異なるため、市場に出回った商品の多くは「長髪に巨人のユニフォーム」という何とも奇妙な組み合わせのイラストである。

劇中でこの姿に近いものは、巨人復帰前にテスト生として宮崎キャンプに参加した極短い時期であり、正直バランスが悪く格好良いとは言い難い。

アニメ版の設定画を簡略化した印象のイラストは妙な味があるのも事実であるが、二期の長期に渡り放映されたアニメ版の関連商品で劇中のイメージを上手く反映させたものは殆ど無かったのは残念だ。

現在のように高年齢のファンを意識した商品は出ておらず、メイン読者層は週刊読売を購入する「かつて巨人の星を読んでいた大人」、メイン視聴者層は「子供」という本作の抱える問題と、市場が未成熟であった事も本作の人気、評価に影響していると言えるだろう。

 


33.地方紙に連載されていた原作漫画版

 (原) 

 

「新巨人の星」原作漫画版は「週刊読売」1976年10月02日(第41号)~1979年04月15日(第16号)に連載されたが、同時期に地方紙「福島民友新聞」日曜版でも連載された。同社は読売新聞社と提携していることで実現したと思われる。

連載時期は1977年07月17日~1979年07月01日、全103回。序盤(原作漫画版第1章「泥濘の章」全19回)はカットされ第20話からのスタートとなった。初回にはそれまでの展開を簡潔に纏めた解説文とアニメ化決定の告知が掲載されており、この企画はアニメ放映開始に合わせたものであることが分かる。「新巨人の星」序盤は実にドラマチックな展開であり、カットされた第1章ラスト付近において飛雄馬が右腕投手として復活出来る可能性が明かされるため、この部分のカットは残念である。だがここから一気に話が進むことを知る今となっては、アニメ化のタイミングで巨人軍入団が具体化する第2章からの掲載は、読者層に強くアピールする意味でも正しい選択だったのではないか。本誌では週刊読売で発表されたものが約三カ月遅れで同紙に掲載されているが、週刊読売の発行部数を一気に伸ばしたとされる本作そのものが連載当時に地方紙にそのまま掲載されていたのは驚く。現在では考えられないことである。なおアニメ版は中断を挟み二期に渡り放映されたが、一期終了後も連載はそのまま継続されている。

新聞サイズに合わせて各頁を半ば強引に纏めて掲載されているが、新たに描かれたカット等は残念ながら存在しない。また「巨人のサムライ炎」の連載はなかった。

 


34.さぁ、どっか書かせろ!

(作)

 

既に「新巨人の星」「巨人のサムライ炎」の連載も終了している1981年。

二作を連載した週刊読売誌上に藤田元司監督率いる巨人の優勝を称えた梶原一騎先生の寄稿が掲載された。

藤田巨人V1 若き星たちへの讃歌」(1981年10月4日号掲載)では、前年の成績不振からの長島監督解任騒動を経て新たにスタートした藤田巨人の日本シリーズ優勝までを振り返りつつ、「江川、原時代の巨人劇画もニンマリひそかに構想中」と新作の巨人軍漫画の発表を匂わせ、最後は「さあ、どっか書かせろ!」とある。

これは所謂リップサービスで具体的な話ではないと思われるが、ファン心理としては読んでみたかったと思わずにはいられない。あくまでも未来を知る今の視点の意見ではあるが、「巨人のサムライ炎」が長島巨人の終焉を描き切る前に終了してしまったことからも、その長島巨人から藤田巨人へ引き継がれ、ついに日本一の栄光を掴むまでを同一の世界観で漫画化していたら、姉妹編も含めた「巨人の星世界」を綺麗に完結させることが出来た筈である。

実際は「巨人のサムライ炎」の作中から「巨人の星」登場人物は第1章で全て退場しており、水木炎に後を託した星飛雄馬のその後が描かれることは無かったので、仮に連載が続いても全く異なる展開となった可能性もあるが、藤田巨人の中で活躍する水木炎と、再び日本一となった栄光の瞬間を見届ける星飛雄馬コーチの姿というのは、漫画的にも大いに盛り上がれたのではないか?若しくは連載が終了していても、読切作品で発表するチャンスは無かったのか?等々、当時既に「巨人の星の世界観」は時代的に古くなっていたとはいえ、この梶原先生の言葉から具体的に話が進んでほしかった。本当に「どっかで書いて欲しかった」ものである。

 


35.幻となった初の右投げエピソード 

(原) 

 

「新巨人の星」序盤で明かされる「大どんでん返し」・・・飛雄馬の生来の利き腕は右腕である事実。この設定は勿論正編「巨人の星」連載中には存在しなかった。

だが、大どんでん返しの正体が明かされるよりも遥か以前に右腕で投げる姿が描かれたエピソードが存在する。

アニメ版「巨人の星」第5話「幻のスイッチピッチャー」(1968年4月27日放送)でも右投げに挑戦する姿が描かれたが※作品考察10参照 このエピソードはアニメ化の約一年前に別冊少年マガジン1967年4月号に掲載された。

この正編「巨人の星」番外編となる「黒部猛巳編」は単行本未収録作品であり、現在読むことは非常に困難となっている。

 

物語は甲子園で活躍する飛雄馬を見守る一徹の回想という形で描かれる幼少期のエピソード。

草野球チーム「ドングリーズ」のエースである飛雄馬は、勝つ事に拘るあまり、幼くして血なまぐさい殺気を持つ子供になっていた。そんなある日、飛雄馬の活躍でドングリーズに連敗していた土建業の荒熊組の草野球チーム「ベアーズ」は、助っ人として元プロ野球選手である黒部を雇い、再び挑戦してきた!直球に絶対の自信を持つ黒部に対し、飛雄馬は大リーグボール養成ギプスを外し勝負に挑む!結果は飛雄馬の勝利。直球に強くとも変化球に対応出来ず球界を去り、酒浸りの生活を続けていた黒部は球筋は見えても打つ事は出来なかった・・・試合後、敗戦の報復に飛雄馬を襲うベアーズだが、そこに再び黒部が現れ、自らのプライドを守るため再度飛雄馬に挑戦する。互いに憎しみの感情を持った勝負に疑問を感じた飛雄馬は、プロ野球選手だった過去のみを生きる支えとする黒部の様子を見て、敢えて打たれる・・・黒部はベアーズを追い払い、一人立ち去った。その一部始終を見た一徹は飛雄馬の人間的成長を喜ぶのだった。

 

一話完結で纏められた短編だが、報復に現れたベアーズに追いかけられた飛雄馬が石つぶてを右腕で投げるシーンが存在する。それについての説明は無い。おそらくは意図して描かれたものでは無いが、これが原作漫画版、アニメ版を含め、初の右投げが披露されたエピソードとなる。何気ない描写だが、大リーグボール養成ギプスによって右腕も同時に鍛えられていた事実がここで既に証明されていたことになるのは面白い。

 


36.(原)(ア)(外)(コ)(炎)(作)

 

※不定期更新